カテゴリー「夕暮れの風の中に」の17件の記事

夕暮れの風の中に 17

17

 

 

そして、学校も終わって…。

 

博美は急いで家に帰ると、昨日に負けないくらい目いっぱいオシャレをして、家を飛び出した。そして、バスに乗り、フェニックス通りを抜けて、約束のお城公園へと急ぐ。

 

信号を渡り、角を曲がって、みしま書店の近くに来たとき、博美は自転車置き場の向こうから走ってくる哲也の姿を見つけた。

 

「おーい」

 

今日は、哲也の方から先に気づいたらしく、大きく手を振っている。博美も、哲也の方に向かって駆け出すのだった。

 

それから2人は一緒になってお城公園の向こうにある映画館へと向かった。

 

そして夕方。ハリー・ポッターの新作映画を見終わっての帰り道、博美は哲也と2人で、夕暮れのフェニックス通りを歩いていた。その時不意に、博美は、胸の中に残った昨日の体験を哲也に聞いてもらいたいと思った。

 

「あのね、昨日の事だけど、もう1つだけ哲也に聞いて欲しいことがあるの」

 

国道を渡る横断歩道のところで、信号を待ちながら、博美は言った。哲也は、優しい目でそれに応えてくれた。博美が話しだそうとしたちょうどそのとき、信号が青に変わり、「とおりゃんせ」の音楽が流れ始めた。動きだす人の群れと一緒に2人も歩き出した。

 

その時、博美は、頬に風を感じた。その風に振り向くと、すれちがって通り過ぎていく人込みの中にノボおじさんの姿があった。

 

…あの穏やかな心のままで皆のところに戻っていくことが出来たようだね。これからも、その気持ちを忘れるんじゃないよ。どうやら、これで安心してサヨナラ出来そうだ…

 

ノボおじさんの瞳は、確かにそう言っていた。

 

「おじさん…ありがとう…」

 

博美は、小さな声でそっとささやいた。すると、またその時、風が横断歩道を吹き抜けていった。それはまるで、博美のささやきを、そのままノボおじさんに伝えようとしているかのようだった。

 

風の向こうで、ノボおじさんはもう1度ニッコリ笑ってうなずいた。そしてそのまま、人込みの中に消えていった。

 

ノボおじさんの笑顔を見て博美は思った。きっと風はあたしの言葉を伝えてくれたのに違いないと。だって、ノボおじさんは言ってたのだ。信じることが大事なんだって。

 

…また、会えるかな?…

 

博美は心の中でそうつぶやくのだった。

 

哲也は、横断歩道の真ん中で突然立ち止まった博美に驚いて肩をたたいた。

 

「どうしたんだい?」

 

博美は、哲也の言葉に、昨日の星空のような笑顔で応えながら話を続けた。

 

「とってもステキな人に会ったのよ…」

 

2人の心を包むように、さわやかな風が吹き抜けていった。

                        〔完〕

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夕暮れの風の中に 16

16

 

 

さて、真実の方だが、聞いてみるとそれはごくありふれた出来事の一つだった。

 

博美は、初耳だったのだが、実は亜希に、数日前から付き合い出した男の子がいたのだ。西高に通う久保君がその子なのだが、彼は実は哲也の幼馴染みで、その関係から2人の仲を哲也が取り持ったらしいのだ。

 

その久保君、なかなかのハンサムで、頭も良く、テニス部のレギュラーとしても活躍していて、西高以外の女の子の間でもかなりの評判になっていた。その久保君のハートを亜希が掴んだということになる訳なのだが…。実は、その事を知っている子はまだそんなに多くは無かった。

 

ところが、東高でも人気のある久保君のこと、昨日、女の子とデートしていたという噂が流れ、それが亜希の耳に入ったから大変。実際に久保君が女の子と出かけていて、しかもそれが亜希の知らない女の子だったためにパニックを起こした所を哲也が必死でなだめて…。博美が2人を見たのは、ちょうどその現場だったのである。

 

久保君も、亜希も、2人とも良く知っている哲也であれば、それも当然の成り行きだったということは、今の博美にも良く分かる。博美が哲也の立場でもきっとそうしただろう。結局は、哲也を信じることが出来なかった博美が悪かったのだ。

 

博美は、恥ずかしかった。ちゃんと哲也を信じていれば、きちんと哲也の話を聞いてさえいれば、こんなややこしいことにはならなかったのである。

 

いや、それだけではない。

 

真理子は、全部知っていたから、電話で亜希の名前さえ出していれば、すべてはもっと早く解決したのである。博美は、何度も何度も2人に謝るのだった。

 

ところで、肝心の噂の出所だが、これも何と田代美代子だった。

 

学年1のスピーカーとの異名を持つ美代子が、まず最初に亜希を混乱させ、さらには博美までその混乱に巻き込んで話をややこしくしてしまったのである。本当に、人の噂というのは怖い。博美は、つくづくそう思った。

 

真相は、久保君が田舎から出てきた従妹のショッピングにつきあわされて街を歩いていたところを美代子に見られ、その話に尾ひれがついて亜希に「デート」と伝わってしまったのである。

 

その時点で、美代子は亜希と久保君の関係を知らなかったものだから、話を興味半分で、おもしろおかしく伝えたために、誤解が誤解を生んで、さらに話を縺れさせてしまったのであった。

 

久保君の優柔不断なところにも問題はあるのだが、その一方では、亜希の方にも八方美人的なところもあるのだから、まあ、どっちもどっち、似たようなもんだ。だけど、お互いへの想いは真剣だったので、とうとう大喧嘩になり、昨日は大変だったらしい。

 

それなのに、それに加えて、博美の方のゴタゴタも起こり、話はさらにややこしくなってしまった。お陰で、哲也も真理子も、昨夜はてんてこ舞いだったという。

 

「ほんっとに、ごめんね…」

 

何度目かのその言葉に、哲也は、左手の拳で、博美の額を軽くコツンと叩いた。

 

「っとに! 許してやるけど、その代わり、今日は昨日の埋め合わせだ。せっかくの土曜だけど、博美の好きにはさせない。午後は絶対映画につきあうんだぞ!」

 

「うん!」

 

博美は、嬉しそうにうなずいた。哲也の瞳にはいつもと変わらぬ優しさがあった。その優しさの中にこうしてまた戻れたことが、博美にはたまらなく嬉しかった。

 

「どうもごちそうさま。っとに、勝手な思い込みで話を混乱させるわ、それが片付いたと思ったら2人して人に当て付けるわ。いい加減にしてほしいわ! もう。…ひーこ、覚えておけよ。今度こんなバカしたら、絶対に実名で小説のネタだかんね!」

 

真理子はそう言って、後ろからおもいっきり博美の背中をたたいた。

 

「いったーい!」

 

そんな風に言い合ったりしながら3人は自転車で朝の街を駆け抜けた。

 

3人が東高の坂道にかかった時、博美は手を振りながら駆けてくる女の子の姿を見つけた。亜希だった。博美と亜希は、お互いに顔を見合わせると、少し照れくさそうに笑った。それを見て、哲也と真理子も笑った。楽しい1日の始まりだった。

 

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夕暮れの風の中に 15

15 

 

 

次の朝…。

 

「行ってきまーす」

 

明るい声が博美の家の玄関に響いた。博美は、元気良く戸を開けると、清々しい朝の光の中に自転車に乗って駆け出した。いつもよりも20分も早い登校だった。

 

そして、博美が十字路を曲がって佐倉木町のバス停を過ぎようとした時、向こうから朝日を背にして走ってくる2台の自転車が目に付いた。そして、博美の姿を見つけると、自転車の2人は、手を上げて…。

 

「博美ー」

 

「ひーこ!」

 

哲也と真理子だった。博美は、驚きながら2人に近づいていった。

 

「哲也…それに真理子も…。いったい、どうして?」

 

「まず、誤解を解かなきゃ…そう思ったので、1人で行ってまた誤解されたらかなわないから、矢田さんにも付き合ってもらってこっちに回ったんだ。博美の家に寄ろうと思ったのでね。…電話で矢田さんから話を聞いて、信じて貰えなかったのには少し腹が立ったけど、あんな風に電話を切られた訳も一応分かったし…。だからこそ、なるべく早く、ちゃんと話をしなければと思ったんだ。聞いてくれるかい?」

 

「ええ…。ごめんなさい。あたしも、昨日一晩考えて、やっぱり、哲也からきちんと話を聞くべきだと思って、そちらに回るつもりで早めに家を出たの」

 

意外な博美の反応に、哲也と真理子は顔を見合わせ、ほっとしたようにうなずいた後、すべてを話し始めた。博美は、それに一々うなずきながら、素直に聞くのだった。そんな博美の反応に、真理子は少し拍子抜け…という顔でこう言った。

 

「ったく! 昨日の電話の様子だったら大変だろうからなあって覚悟を決めてきたのに、その素直さは何? あたしは、あんたらのダシか! っとに。えーい! 覚えてろ! 今度の小説、博美のこと実名でメチャクチャ書いてやるんだから!」

 

「ごめん! ほんっとにごめんね。あたしが悪かった。昨日素直に哲也の話を聞いていれば良かったのに。真理子からの電話のときに亜希の名前も全部打ち明けていればややこしい事にならなかったのに。本当にごめんなさい」

 

「まいったなあ。そこまで素直になられてはあたしの負けだ。しゃあない。許してあげる。だけどひーこ…」

 

「?」

 

「…良かったね」

 

「うん!」

 

博美の返事に、真理子は、素敵な笑顔で応えてくれた。こうしてみると、昨日の夕方からのことがみんな嘘みたいに思える。だけど、まさか、こんな風になるなんて…。信じるって本当に素晴らしい…博美は心からそう思うのだった。

 

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夕暮れの風の中に 14

14

 

 

ひとしきり博美を自由にさせた後、ノボおじさんはゆっくりと博美の側に近寄って来た。その気配に博美が目を開けると、おじさんは優しいテノールで囁いた。

 

「空の感触ばかりに夢中になっていないで、ちょっと下も見てごらん。きれいな街の灯が地上にも素晴らしい星座を作っているから」

 

その声に誘われて、博美はそっと下をのぞいてみた。

 

温かい小さな街。その街が作る地上の星座が、今、博美の目の前に広がっていた。

 

道路を走る車のライト、信号、そして道路に沿って並ぶ水銀灯の光が、美しい鎖を作っている。それから家やビルの窓に点る蛍光灯や電灯の明り、小路の街灯も温かな色の光を弾けさせて街を飾っていた。そして、それらの明りの温かさの中から、そこで生活する人たちのぬくもりがにじんでいた。

 

それを見ていた博美の目から、不意に1筋の涙が零れ落ちた。悲しいわけじゃない。寂しいわけでもない。だけど、何故か涙が溢れてくるのだった。

 

不意にノボおじさんの手が博美の右手に重ねられたのはそんな時だった。けれども、その手は、最初触れた時よりももっともっと冷たかった。

 

「ノボおじさん…」

 

博美はゆっくりと振り返り、ノボおじさんを見た。目の中に、今まで見たことのなかった、遠い彼方に輝く星のような透明な光が見えた。

 

「あそこには、星の光とは違う温かさがあるだろう? あれは、人間の体温の温かさだ。それは、1人ひとりの心の温かさでもあるんだ。それに比べて、僕の手は冷たいだろう。魔法導師は、もう、人間ではない。僕はもう、あの温かさを失ってしまったんだ。だけど博美ちゃん、君にはまだあの温かさがある。そして、それは泣いていたもう1人の女の子も、そしてその子を一生懸命なだめ、なぐさめていた男の子にもあるんだ。…それを信じて、もう一度街を見てごらん。地上に、君だけにしか見えない素晴らしい星座が見えてくる筈だから…」

 

その言葉に導かれるように、博美はもう一度街を見下ろした。街灯や窓の明りが博美の心の中でつながり、そこからいくつもの温かな笑顔が浮かんできた。真理子の涼しげな微笑み、亜希の明るい笑い顔、そして、哲也のちょっとはにかんだ優しい笑顔が…。

 

そのとき、博美の耳元を風がくすぐった。

 

風の中から、小さなボリュームで、聞き覚えのある声が博美の耳に届いた。

 

…だから、話を総合すれば、僕が久保の誤解を解こうとして彼女と話していた場面を見て誤解したんだと思うんだ。会話の断片だもんね。…あたしもそう思う。亜希の方はまかせて。真先くんの話で事情は分かったから。…問題は博美だよ。あの様子では、完璧に誤解してるに決まって…

 

博美は思った。何をウツウツと悩んでいたのだろう。あの電話の声の温かさは、紛れもなく本物だったのに…と。

 

その時、ノボおじさんの優しいテノールが耳元に聞こえて来た。

 

「見えたね、素敵な星座…」

 

「うん…」

 

「夢や幻じゃない。あれが真実なんだ。君の心が求めるもの、そしてあの街で暮らす人々が持っている温かさ…。もちろん彼もそれを持っている。…明日、彼に聞いてごらん。君が心を開きさえすれば、さっき見た地上の星座は、また君の心の中に戻ってくるから…」

 

ノボおじさんの言葉は、乾いた土の上に降る恵みの雨のように博美の心に染み透っていった。いつしか博美の心の中は温かな想いで一杯になっていた。あれほど落ち込んで死にかけていた心に、今、言葉にできないほどの想いが拡がり、博美はようやく、自分を取り戻したと実感出来たのだった。

 

「さあ、これで僕のしてやれることはすべて終わった。明日は、その心のままで皆の中に入って行けば良い、分かるね。今度こそ大丈夫だよ」

 

「うん!」

 

博美は、大きくうなずいた。

 

「よーし! じゃあ、部屋に戻ろう」

 

ノボおじさんはそう言って、また黒いボールペンを取り出した。そして、星空の下で、それを流れるような仕種で振った。

 

8分の6拍子かな…と思う間に、周りの風景がシンフォニーのように流れた。星や街灯の光や雲や部屋の明りが、コーヒーに落としたクリームのように美しい渦巻き模様の中に吸い込まれていく。そして気がつくと、博美は、自分の部屋の窓の側に立っていた。

 

「あっ…」

 

博美は、小さく叫ぶと、慌ててノボおじさんを探した。

 

道路、街灯の下、塀の陰…。あっちこっちと見回した後、やっとのことで、右隣の家の屋根の向こうに見える雲の上に座ったノボおじさんの姿を見つけた。ノボおじさんは、博美に向かって小さく手を振ると、雲の向こうに溶け込むように消えていった。

 

「お礼…言えなかった…」

 

博美は窓のところにたたずんだまま、ノボおじさんが消えていった夜空をいつまでも見つめていた。

 

 

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夕暮れの風の中に 13

13

 

 

足の先に何もないのが心細かったが、それでも身体はポッカリと星空に浮かんでいる。一人で漂う夜空の感触は、何か怖いような、それでいてドキドキするような不思議な感じだった。風船やシャボン玉も、こんな気持ちで空に浮かんでるんだろうか…。不意に、そんなことを思ったりもした。

 

その時、博美の横を風が通り過ぎた。

 

地上であれば、心地良い微風程度の強さの風だったのに、そんなわずかな風にも博美の身体はふんわりと揺れた。そのままでいると、知らないうちにどこまでもどこまでも風の向くままに流されてしまう。そんな頼り無さに、博美は思わず強く足を動かしてしまった。ところが、それが失敗だった。

 

「キャーッ!」

 

わずかな動きで博美の身体はクルリと1回転し、博美は思わず悲鳴を上げた。

 

すると、星の光の間を抜けて、ノボおじさんのテノールが博美の耳に届いた。

 

「慌てないで。ゆっくり、落ち着いて、足を同じ方向に動かしてごらん。元の姿勢に戻りたかったら、鉄棒の前回りをするようなつもりで強く蹴ってみたら良い。手でも足でも、気をつけて動かせば、泳いでる時みたいに…いや、泳いでる時よりももっと自由に、身体の向きも、動く方向やスピードも、好きなようになるよ」

 

その言葉を聞いて、博美はゆっくりと、大きく足を動かしてみた。すると、それに合わせて身体の向きが変わり、やがて博美は元の姿勢に戻る事ができた。

 

今度は少し慎重に…。

 

ほんの少しだけ右足を動かしてみる。…成功! 思っていた方向に身体が動いた。

 

ほんわり…ぼんやり…ゆ~らゆら…。泳いでいる時のように水圧は感じられないのに、水の中にいる時みたいに身体を好きなように動かすことができる。水のような圧迫感はなかったが、まるで、海に浮かんでいるような感触だった。夜の空気は海の水よりもずっと柔らかで何もないみたいだったが、それでもシッカリと博美の身体を包んでいた。

 

前、後、右、左、上、下、そしてクルリと回って…。

 

博美は、色々な方向に手や足を動かしてみた。すると、その動きに合わせて、身体の方も、色々な向きに様々なスピードで動いた。

 

ようやく、コツが飲み込めた。泳いだり、潜ったりの水遊びの要領で身体を動かせば良いのだ。ただ、水との違いは、水の中よりももっと軽く身体が動くということだった。

 

博美は夜空を泳ぎ出した。そう、「飛ぶ」というよりも「泳ぐ」という感じだった。

 

辺り一面に広がるのは静かな闇ときらめく星々の世界。ベガ、デネブ、アルデバラン、プレアデス…その他、名前も知らないたくさんの星たちが、鮮やかに光り輝き、無限への夢を誘っていた。目に見えない光のシャワーが、博美の不信の闇に閉ざされたちっぽけな心を洗い流し、穏やかな気持ちと心の潤いを取り戻してくれるように感じられた。

 

何とも言えない不思議な温かさを全身で味わいながら、博美は小さな子どもが手を放してしまった風船のように夜空を漂っていた。

 

博美の側に小さな雲が近づいて来た。

 

博美は、そっとその中に体を沈めた。

 

タンポポの綿毛よりも軽い雲の水滴の感触は、とても優しかった。その中から星空を見上げると、光はぼやけて柔らかくにじんだ。星空が、今まで以上の滑らかさで、博美の心を包んでくれているように感じられた。

 

雲の中でクルクルと身体を回してみる。

 

目に見えないくらい小さな白い水粒が、素肌の上を心地好く流れていった。

 

それから博美は雲を出て、今度は目を閉じて、そのまま夜風に身を任せた。

 

穏やかな波の上をゆらゆらと漂うように、ゆっくりと身体がゆれる。心の中に「ゆりかごのうた」のメロディーが流れ出す。

 

ほとんど記憶にないくらい小さかった頃にお母さんの腕の中で感じた感触と同じくらい優しい夜風に抱かれ、博美は心からの安らぎを感じていた。

 

ノボおじさんは、しばらくの間、それを優しい眼差しで見守っていた。博美を見つめる視線は、最初の出会いの時よりもずっと柔らかで優しく、まるで春の陽射しのように穏やかだった。空気や雲や夜風の感触は、もしかしたら、そんなノボおじさんの視線そのものだったのかもしれない。

 

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夕暮れの風の中に 12

12

 

 

博美は、ノボおじさんの動きをじっと見つめた。けれども、ノボおじさんは、ただ、落ち着いた声でこう言っただけだった。

 

「これで準備は整った。さあ、いよいよ最後の仕上げだ。いいかい、僕の言った通りに繰り返すんだよ。…トゥー・ビー・トゥー・ビー・テン・メイド・トゥー・ビー…」

 

ちょっと拍子抜けの感じがあったが、それでも博美はその通りに繰り返した。

 

「トゥー・ビー・トゥー・ビー・テン・メイド・トゥー・ビー…えっ?」

 

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、博美の足は地面を離れ、ふわりと空中に浮き上がった。

 

身体が信じられないくらい軽くなって、わずかな微風にも風船のように揺れるのだ。足の裏に地面が感じられないのが少し心細かったが、何かしらすごーく気持ちが良い。これが「空を飛ぶ」ということなのだろうか。

 

「さあ、行くよ。これから、もう少し上がって、天上の星座とそれよりも美しい地上の星座を見せてあげる。そのためにも、もっとずうっと高くまで昇らなければならないんだ。連れてってあげるから手を出して」

 

博美が手を出すと、ヒンヤリとした大きな手が掌をシッカリと握った。それからノボおじさんは、マントをはためかせて一気に空へ駆け昇った。

 

その手に引かれ、博美も、星のきらめく夜の空をどこまでもどこまでも昇った。

 

心地好い夜風に頬をくすぐられながら、ビルや鉄塔を越し、小さな雲を通り抜け、高く、高く。そしてどこまでも遠く。まるで、星に手が届きそうに見えるくらいまで…。

 

やがてノボおじさんは、そっと博美の手を離した。

 

「さあ、ここまで昇ればもう大丈夫。少しくらい無茶をしたって、落ちたり、怪我をしたり、事故をおこしたりすることはない。僕はこの辺りで浮かんでるから、1人で夜空の散歩を楽しんでごらん。視界をさえぎるともったいないから、近くにはいるけど、姿は消すからね」

 

「…うん」

 

ノボおじさんは、その言葉が終わるか終わらないかのうちに夜の闇と同化してしまった。姿ははっきりとは見えなくなったが、近くにいる気配は確かにあった。何があっても、きっと、ノボおじさんはフォローしてくれる。ノボおじさんの気配は、それを告げていた。

 

博美は、自分の心に言い聞かせるように大きく深呼吸をすると、恐る恐る夜空に足を踏み出した。

 

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夕暮れの風の中に 11

11 

 

 

「えっ?」

 

突然、目の前に、先程までとは違う風景が開けた。

 

見覚えのある小さなブランコと鉄棒。気が付くと博美は、ノボおじさんと2人で、通い慣れた近くの小学校の校庭に立っていた。ほんの瞬きをする程の時間で、歩いて10分はかかる距離を移動していたのである。

 

そのまま、側にあったブランコに座る。辺りに人影はなく、学校は静まり返っていた。

 

博美は空を見上げた。

 

バックネットや校門から続いている塀のせいで街灯の影になっているので、家の2階からよりもたくさんの星が見えた。カシオペア、それに北極星…。黙って星を見ていた博美の背中から、ノボおじさんの穏やかな声が聞こえてきた。

 

「たくさん星が見えるね。今日は、珍しいくらい雲が少なくて空が澄んでいる。それに月も出ていない。街では滅多に見られなくなった素晴らしい星空だ。この空のように澄んだ心になって、今までのことをありのまま素直に話してごらん」

 

博美はうなずいて話し出した。大好きな哲也のこと、親友の亜希と真理子のこと、それから夕方の出来事、それにショックを受けたこと、ノボおじさんと出会うまでのこと。夜になってから美代子や哲也から電話があったこと、そして、真理子から電話と、その時にどうしても話せなかったこと…。

 

その中で博美は、真理子にも、その他の誰にも言えなかった自分の心の中の迷いや不安や嫉妬まで、ごく自然に話していた。

 

その1言ひとことを、ノボおじさんは一々相槌を打ちながら静かに聞いてくれた。

 

すべてを話し終えた後、博美は大きな溜め息をついた。

 

さっきまで、胸の奥に沈んでいた重苦しいものが、溜め息と一緒にどこかへ消えてしまったのではないかと思うくらい心の中が軽かった。

 

博美は上を向いて、ブランコの鎖を握っているノボおじさんを見た。優しい笑顔が博美の視線を迎えてくれる。その顔を見ていると、博美の心の中にもノボおじさんの微笑みと同じ色の優しさが広がっていくような気がした。

 

「うん、いい顔になった。その顔なら、安心して魔法が使える。今だったら、きっと素直に受け止めてくれるだろうからね」

 

その言葉に博美は驚いた。だってノボおじさんは確か、「魔法は1回だけ」と言った筈だ。じゃあ、さっきここに来たのはいったい何だったんだろう。

 

「ねえ、それってちょっとおかしいんじゃないかしら…。確か、『魔法は1回だけ』って言ったでしょう? ここへ来る時に使ったんじゃないの?」

 

「うん。確かにあれも魔法だけど、あれは、純粋に君だけっていう魔法じゃない。相手の事を良く知らないと、きちんと『その人のための魔法』は使えないから、あの移動は数えないんだ。だって、君のことを良く知ることが目的だったんだから。そして、これからの魔法が本番。きみのためにしてあげる『1回だけの魔法』だよ」

 

ノボおじさんはそう言って、胸のポケットに差してあった黒のボールペンを右手に持った。そして、指揮棒を振るみたいにボールペンを構えた。

 

ボールペンはノボおじさんの目の前でピタリと止まった。それから、メータかジュリーニみたいに鮮やかにボールペンを振った。今度は4分の2拍子だ。それは、ほんの一瞬のことだったけれど、一流のオーケストラを指揮するみたいにピシッと決まった。

 

と、見る間にノボおじさんの周りが真珠色の光に包まれ、それが消えると、そこには、今までとは違う服を着たノボおじさんが立っていた。

 

「今度は本番だから、ちゃんと正装をしないとね」

 

ノボおじさんは、少し照れたような笑みを浮かべながらそう言った。黒のダブルのスーツに蝶ネクタイ、黒い靴に黒い帽子、そして赤い裏地の黒マント。正装をしたノボおじさんは今までと違って強い存在感と不思議な力を感じさせた。

 

「さあ、次は君だ!」

 

その服装で、再びボールペンを振る。えいっ! 博美も、心の中で一緒に叫んだ。

 

「あれっ?」

 

ところが今度は何も起こらない。おじさんは、不思議そうにボールペンを見た。

 

「なんだ、もうインクが空になってる。今週は3本目だ。ちょっと使い過ぎかな?」

 

その言葉に、博美は不思議に思ってたずねた。

 

「ねえねえ、オジサンの魔法ってボールペンから生まれるの?」

 

「う~ん、何というかな、そうとも違うとも言えるような…」

 

「何それ? だって、ぜんぜん関係なんてなさそうじゃない」

 

「ああ、魔法だからだよ。科学的に説明出来たら魔法じゃなくなるからね。ボールペンと魔法、説明もつながりも何も分からないだろう。だから魔法なんだ」

 

まったく訳の分からない説明だった。だけど、何となく納得してしまったのがおかしい。結局、ノボおじさんは、新しいボールペンを胸のポケットから取り出して、改めてそれを構えると、手慣れた手つきで優雅にそれを振った。

 

今度は、見事成功。真珠色の光が博美を包み、それが消えると、博美はノボおじさんと同じ黒のマントを着けていた。ノボおじさんはそれを確認してうなずくと、ボールペンを内ポケットにしまった。

 

博美は、この次にはどんな事が起こるのかと、期待に胸を膨ませながら、ノボおじさんの魔法を待つのだった。

 

 

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夕暮れの風の中に 10

10 

 

 

「やあ!」

 

突然、頭の上から、落ち着いた低い声が降ってきた。驚いて目をやると、屋根の上から見覚えのある黒い眼鏡をかけた顔が覗いていた。ノボおじさんだった。あまりにも唐突な登場に、博美は驚きの声を上げた。

 

「ええっ! うっそおー!」

 

「おいおい、『うっそおー!』ってそりゃないだろう? さっき呼んだじゃないか。ほとんど聞こえないくらいのちっちゃなちっちゃな声だったけどさ」

 

「そりゃあ…。だけど、あんな小さな声よ。この部屋に居たって聞こえないわ」

 

「でも、約束しただろう? どんな場所にいても、どんな小さな声で呼んでも、すぐに行くって」

 

「確かに…そうは聞いたけど。だけど、まさか本当とは思わなかったわ。だって、そうでしょ、魔法使いなんて…。それに、ここは2階だし、呼んでからほとんど時間も経ってないのに…」

 

「魔法導師は普通の人とは違う。超一流の魔法使いにとって、呪文も含めた『言葉』には命と引き換えにする程の『重み』があるんだ。だから、守れないような約束は、絶対にしないんだよ。…さて、驚くのはそれくらいにして。僕を呼んだってことは、やっぱりまた落ち込んでしまったんだね。実は、しばらく前からこの辺りの風の流れが澱み始めていたから心配してたんだ。あまり遠くに行ってなくて正解だったね」

 

ノボおじさんの言葉に、博美は無言で頷いた。それにしても、このオジサンが本物の魔法使いだったなんて…。21世紀が来て7年も経つという現代の日本に魔法使いとはオドロキだ。誰かに話したら笑われそうな話だけど、どうもこれは本当らしい。だけど、本当にステキな魔法使いだ。…もっとも外見は別だけど。

 

「僕は、君の暗く沈んでしまった心を元に戻すためにここに来た。でも、魔法使いだっていっても、無制限に魔法を使う訳じゃない。君のために使ってあげられる魔法は1つだけなんだ。だけど、君はどうやら心から僕が魔法使いだということを信じてくれたみたいだから、多分魔法は100%の効果を上げると思うよ。しかし、君のために使う魔法は、人の心を変えたり操ったりする類いのものじゃない。…もちろん、やって出来ないことはないんだけど、それをすると人々の運命が大きく狂い、結局は関わった多くの人が不幸になってしまうんだ。人と人との関係は、どんな場合でも、その人の心の持ち方1つで変わってくるものなんだ。だから、本当に幸せになろうと思ったら、自分の手で自分自身の心を変えていかなければならないんだ。そして、僕の魔法は、その手助けやきっかけにしか過ぎないんだということをしっかり心に刻んでおいてほしい。どんな凄い魔法でも、その程度の力しか持ってないんだ。だから、決して僕に頼ってはいけないんだ。結局は、君自身の事なんだしね。でも、君なら大丈夫。きっと自分で何とかすることが出来るよ」

 

それは、ちょっとキツイ内容だった。

 

ノボおじさんが本当に魔法使いだということが分かったとき、まず博美の心の浮かんだのは、魔法を使って哲也の心を変えてもらうということだった。

 

けれども、ノボおじさんは、そんな博美の甘い考えをあっさり読み取り、やんわりとした言葉でそれを拒否すると同時に穏やかに博美を教え、諭していった。

 

そんなノボおじさんの言葉は、長い年月の間に雨粒が石をうがつように、自然に、しかししっかりと博美の心に刻まれていった。

 

「どうやら、僕の言ったことが分かったみたいだね。それじゃまず、きちんと話を聞こう。夜あったこと、そして、今まで考えたり思ったりしたこと、すべてを含めて…ね。と言っても、狭い部屋の中では、さっきまでみたいに心が縮こまってしまいそうだし、それに邪魔が入ってもいけない。どうかな、場所を変えたら?」

 

博美が微笑んで頷くと、ノボおじさんはニッコリ笑った。それから、胸のポケットに差してあった黒のボールペンを右手に持ち、まるで、オーケストラの指揮者が指揮棒でも振るみたいに軽くそれを動かした。

 

4分の4拍子の動きかな? 博美の頭の中に、一瞬、何の脈絡もなく、そんなイメージが浮かんだ。何の関係もないイメージが訳の分からないままに混じり合って、不思議な雰囲気を造り上げてしまう。そう言えば、ノボおじさんの存在自体もそんな感じなのかも知れない。そんな風に博美は思った。

 

博美がそんなことを考えている間にノボおじさんの動きは止んでいた。ところが、それに気が付いた途端に、辺りの様子に変化が生じた。突然、博美とノボおじさんの周りに、オーロラのような不思議な光が現れ、それから潮が引くように消えた。

 

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夕暮れの風の中に 9

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その声を最後に、携帯は切れた。博美は携帯を机に置いて、また、ベッドの上に座り込んだ。真理子はいつもと変わらぬ真理子だった。その様子にほっとしたけれど、電話が終わってしまうと、心の中に寂しさがにじんでくるのだった。それに…。

 

結局、亜希の名前が出せなかった事が悔やまれた。

 

いつもだったら、全部包み隠さずに話しているのに…。あたし、いつもと全然違ってしまってる…。そう博美は思った。どうしようもなく落ち込んでるのだ。だからこそ、いつもと変わらない真理子と、ずっと話していたかった。でも、真理子はいつもの真理子だったら、そんなことすれば怒るに決まってる。

 

それでも、いつもだったら哲也と亜希がいた。

 

2人に代わる代わるメールをしたり電話をかけたりして、その内に元気を取り戻すことが出来た。それが、昨日までのパターンだった。けれども、今日はそれが出来なかった。

 

そのことが、一層、博美の心を落ち込ませた。心の中にぽっかりと開いてしまった穴。あの2人がいない事が、これほど辛く悲しいことだったなんて…。博美は、今更ながらに哲也と亜希の存在の大きさを感じるのだった。

 

「ああ…だめ。やっぱり、どうにもなんない…」

 

博美は、そう呟いて窓を開けた。

 

冷たい夜風が、冷えきった心の中にまで吹き込んでくるような気がした。博美は自分の手で小さく震えている肩を抱いてみた。街の明りにくすんだ星空が、屋根の間から小さく見えた。星の輝きも、今の自分と同じくらいに心細そうに感じられた。

 

夕方会った不思議なオジサンの顔が頭に浮かんだのはそのときだった。

 

ノボおじさん…なんて名乗ってたな。魔法使いだって言って、占いでもするみたいにあたしの事を当てたっけ。背が高くって、眼鏡の奥から優しそうな瞳が覗いてた。そう言えば、あのとき、どうにもならなくなったら呼べって…。

 

「ノボおじさん…」

 

博美は、ほとんど無意識にそう呟いた。その時、夜風が、その呟きを運んでいくように、博美の側を吹き抜けていった。

 

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夕暮れの風の中に 8

8

 

 

携帯はそれっきり石のように黙ってしまった。

 

博美は、ほっとしたような、けれど何だかとっても寂しくて哀しいような、そんな堪らない気持ちでベッドの上に倒れ込んだ。ふと横を見ると、小猫の縫いぐるみのニャン太郎が悲しそうな目で博美を見ていた。博美は立ち上がるとニャン吉を手に取り、それから古いSPEEDのCDをかけた。

 

ベッドの上でニャン吉を抱いたまま、スピーカーから流れてくる歌を聞く。「White Love」~「Body & Soul」~「my graduation」…。大好きなSPEEDを聞いてるのに、何故か心は晴れなかった。

 

どうしてこんな風になってしまったんだろう。

 

ニャン太郎の耳を引っ張りながらそんな事を考える。夕方、あの変なオジサンと一緒に歩いていた時には、あんなに穏やかな心でいられたのに。それがどうして、こんな風になってしまったのだろう。

 

「もう、イヤ!」

 

博美は、突然そう叫んで、ニャン太郎を窓の横の本棚に投げ付けた。八つ当たりをされた縫いぐるみは、本棚に当たって跳ね返ると、泣き伏したように俯せになってカーペットの上に転がった。

 

その時、ふと、真理子の顔が頭に浮かんだ。

 

そうだ…真理子だ。ちょっと気が進まないけど、真理子に相談してみよう。

 

矢田真理子。博美と亜希の最も頼れる親友。

 

黒くて長いストレート・ヘアー、黒めがちのぱっちりとした瞳、すっと通った鼻筋、白く滑らかな肌…と美人の条件をすべて揃えている。けれども外見だけでなく、勉強も、学年でも10番を下らない成績を誇っていた。

 

それだけではない。テニスはインターハイ・クラス、ピアノも10年以上続けていて、下手な音楽の先生よりもうまい。ちょっと勝ち気な性格で、何でもはっきりと口にする。そんなこんなで、一見クールでキツそうに見えるが、本当はとっても優しい。

 

ただ、その名の通り、遠慮もなしにズバリと真実をつくので、聞くほうに弱みや邪な考えが在ったりすると、心にグサッと来る言葉を吐く。そんなこともあって男子にも一目置かれている存在だ。だけど、その辺りが災いしてか、ラブレターとかはよく貰うのだが、中学の頃からずっとフリーで通している。まあ、もっとも、その辺りのケイハクな男の子では真理子と釣り合いは取れないからなのだろうけれど…。

 

真理子の方も、そんなことはまったく気にする様子もなく、マイ・ペース。最近は、小説を書くのに熱中している。

 

そんな真理子だから、こんな時には誰よりも頼りになるのだけど…また、そんな真理子だから、ある意味では、誰よりも怖い。だから、普段は哲也や亜希に先に相談を持ち掛けてワン・クッションを置いてから真理子に相談する。

 

けれども、今回ばかりはそうもいかない。いつも先に相談する2人が今回はいないのだ。

 

博美は、そんなことを考えながら、真理子への電話をかけそびれていた。

 

その時、また携帯がなった。サティーのピアノ…真理子本人が指定した着信音だ。博美は、恐る恐る携帯を手に取った。真理子の少し怒った声が飛び込んできた。

 

「ほんとにもう! 今日はいったい何よ! 亜希といい、ひーこといい…。投稿の締切りが迫ってて忙しいのに!」

 

「何…」

 

「さっき、真先君からTELがあったって言えば分かるでしょ。放課後デートだってんで喜々として帰ったひーこが、5分くらいの遅刻で雲隠れしたって聞いただけでも驚いたっていうのに、それに加えて、真先君のTEL片っ端から切り倒して、『話なんてしたくない!』でトドメだったなんて聞けば、いくら締切り間際で忙しいからって無視は出来ないでしょ。そんなひーこ、あたしだって信じられないわ。さあ、納得のいく説明を聞かせて貰おうじゃない!」

 

真理子の剣幕に、博美は、ドギマギしながら応えた。

 

「だって…あたし…見ちゃったんだもん。…それで」

 

「見ちゃったって何を? はっきり言ったんさい! 事と次第によっちゃ許さないからね」

 

「だから…あの…。待ち合わせが、お城公園だったから、帰ってすぐに着替えて出掛けたの。そしたら…」

 

「そしたら、何?」

 

「そしたら…フェニックス通りのところで、…哲也が女の子を抱いて、それで…その子に、ほんとは君が好きだって…あたしには、今日、ちゃんとTELするって…。あたしは、チラッと見ただけだったんだけど、美代子が詳しく知らせてくれて、それで…」

 

そこまで聞くと、真理子の声から怒りが消えた。

 

「なるほど…。あの真先君がねえ。それは初耳だ。事実だとしたら、そりゃショックだわなあ、確かに…。あたしがひーこでも、そんな目にあった日には、デートをすっぽかして、かかってくる電話片っ端から切り倒したくなるね。気持ちは分かる。でも、ひーこさあ、それって本当に本当の事? 見間違いなんて可能性は無い? さっきの真先君の様子では、とてもそうは思えないけど?」

 

「そりゃ、あたしだって信じたくなんかないわよ。だけど、本当にそうだったのよ。この目と耳で聞いたんだから。それに、美代子が…。美代子も見てたらしくて、あたしが見てたのを知らずに詳しく電話で知らせてきたの。内容は、あたしが聞いたのと同じだったわ。…美代子の方が詳しかったけど」

 

しかも、相手は亜希だったんだから…博美は、その言葉を飲み込んだ。そこまでは、いくら真理子でも言いたくなかったのである。

 

それを聞いて、真理子は優しい声で言った。

 

「そっか。分かったよ、なんとなく…。そういうことだったら、この忙しいときにゴタゴタ持ち込んだのは許してあげる。だけどさあ…」

 

「何?」

 

「それってさあ、も1回確かめた方が良いんじゃないかな?」

 

博美は、電話を持ったまま沈黙した。

 

「といっても、電話はもちろんメールだって絶対したくないって訳か。仕方ない。あたしがやったげる。本当だったら、あたしもあいつを許さないから。だけど、もう1件ゴタゴタがあるから、ちょっと遅れるけど、我慢するのよ。なるべく早く手を打つからね。だからひーこはまず気を静めること。でもって、後できちんと知らせるから、その時は素直にあたしの話を聞くこと。いいね。それじゃあ、もう1人の厄介者にTELするから、これで…」

 

「あ…」

 

「何? まだ何かあるの?」

 

「ううん、何でもない…」

 

「じゃね」

 

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