カテゴリー「エッセイ・評論」の98件の記事

『ログ・ホライズン』を読む

ラックからのミニ評論35

 

 

『ログ・ホライズン』 《橙乃ままれ》を読む

 


『ログ・ホライズン』を知ったのは、鳥羽の図書館の読書会のグループで取り上げられたのがきっかけだった。ただ、ゲーム、特にロールプレイングゲームをしたことがない女性メンバーが多かったため、作品世界についていけず、一巻も読み切れずに挫折したメンバーがほとんどだった。しかし、個人的にゲームをしていた時期もあったことから、HPやMP、プレイヤーのレベルといったイメージに違和感がなかったため、読み進めることができた。読んでいくと、ある程度コミュニケーション能力に問題のある主人公や登場人物の交流や人間的成長、民主主義や人権の問題などもいろいろと考えさせてくれるストリー展開であったため、結局、出版されているところまで小説を買ってしまうこととなった。この作品は、ネット連載で読めるだけでなく、マンガ化やアニメ化もされ、子どもたちに人気を博している。


ネットで世界中とつながっているファンタジー系のロールプレイングゲームである〈エルダー・テイル〉をプレイしていたシロエ(白鐘恵)たちは、〈大災害〉によって魔法や幻獣の存在する中世ファンタジー(エルダー・テイル)のゲーム世界に組み込まれ、現実に戻れなくなってしまう。もちろん、現実世界の記憶はあるのだが、ゲームの中でプレイしていたキャラに現実の自分が投影されているような外見となり、身体能力はゲームのキャラの特性とレベルによって跳ね上がり、普通の人間よりも強靭な肉体と体力、そしてキャラの職業によっては魔法も含む超人的な技を使える。だが、ゲームをやめて元の世界に戻ることはできず、殺されても復活してしまう。また、現実で暮らしていたような近代法のない社会で、現実に帰還できる希望の見えない絶望から、心の弱い人間は弱者いじめや自暴自棄の行動に陥る場合も出てくる。それを良しとしないシロエは、親友の直継やゲームでの冒険を共にしたアカツキ、にゃん太らと共にモンスターを倒したり生活を共にしたりするギルド【ログ・ホライズン】を結成し、マリエールやヘンリエッタらが集うギルド【三日月同盟】らと協力しながら、他のギルドにも働きかけ、自分たちの暮らすアキバに〈円卓会議〉という自治組織を立ち上げ、状況を改善するための努力を積み重ねながら、それぞれが人間的にも成長していく物語となっている。


巻き込まれた初心者プレイヤーを殺してアイテムやお金を奪うPKを禁止したり、プレイヤーである〈冒険者〉とゲーム中では背景であったゲーム内での人間たち〈大地人〉たちの社会との共存を模索したりと、シロエの発想はかなり自覚的で民主的で人権を尊重したものとなっている。また、限りある命を生きる〈大地人〉に対して、死ぬことも出来ず、また現実に帰還することも出来ない〈冒険者〉の苦悩や、復活に際して少しずつ現実世界での記憶が失われていくリスクあるいは恐怖など、ゲーム世界の特性と現実との対比の中で、生きることの意味を問い直すきっかけも与えてくれる。


それから、元々がゲームのプレイヤーということで、シロエやアカツキなど対人関係をちょっと苦手としている登場人物もけっこうあり、共に時間を過ごし、支え合う中で、お互いの弱さに向き合いながら心を通わせ、関係を深めていくことを通じてコミュニケーションも深まっていくなどという展開は青年期の成長課題などとの関係から読んでも非常にリアルで興味深い。


物語はまだまだ続いていくが、ゲームがらみと侮れない面白さがある。

              〔完〕

 

 【TEXT】

  『ログ・ホライズン』①~⑩

    作  橙乃ままれ

       二〇一一~一五年 

    KADOKAWA

 

ISBN978-4-04-727145-6   ISBN978-4-04-727298-9 

ISBN978-4-04-727413-6   ISBN978-4-04-727543-0

ISBN978-4-04-727669-7   ISBN978-4-04-728235-3

ISBN978-4-04-729175-1   ISBN978-4-04-729926-9

ISBN978-4-04-730190-0

ISBN978-4-04-730674-5

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『荒野の少年イサム』 《山川惣治/川崎のぼる》を読む

ラックからのミニ評論31

 

『荒野の少年イサム』 《山川惣治/川崎のぼる》を読む

 

 


最近、子どもの頃に夢中になったマンガの復刻版を書店の店頭で見ることが多い。かつては全巻そろえられずに涙をのんであきらめた作品でも、今なら……というケースは結構ある。ところが、復刻版やマンガ文庫でもなかなかない作品もある。『荒野の少年イサム』もそんな作品の一つだった。


『荒野の少年イサム』。一九七一年から週刊少年ジャンプに連載されたフロンティア時代のアメリカを舞台にしたマンガである。かつての男の子は、戦車や戦艦、戦闘機、銃といったものに夢中になったもので、けっこう西部劇なども好んで見ていた。ジョン・ウェインや、ジュリアーノ・ジェンマといったアメリカやイタリアの映画がテレビで放映される日にはテレビの前に陣取っていたものである。けれども、主人公は白人の若者か大人で日本人はもちろん、子どものガンマンなど登場することはなかった。ところが、日本人の少年ガンマン(正確には日本人の父を持つ日系の少年)が主人公として活躍するマンガの連載がジャンプで始まった。男の子たちは大喜びでジャンプを回し読みしたものだった。


イサムの父は日本の武士、渡勝之進、母はネイティブ・アメリカン(当時はインディアンと呼んでいたし、復刻された本にもそう書かれてある。)の女性である。勝之進は赤ん坊のイサムを連れて親子三人で旅をしていたが、途中で母は病で亡くなってしまう。さらにイサムは、暴走した駅馬車のせいで父とも離れ離れになってしまうのだが、たまたまロバが行き着いたロッテン・キャンプという小さな町で砂金採りの男たちに大切に育てられる。ところが、ロッテン・キャンプの町が洪水によって壊滅し、イサムはウインゲート一家というアウトロー(賞金付のお尋ね者)に拾われる。ウインゲート一家の三人は、イサムに悪事の手伝いをさせるために銃と馬を仕込む。その結果、イサムは獣と馬に関しては超一流の腕を持つことになる。


誘拐、馬泥棒、駅馬車強盗、開拓民の一家の惨殺など、ありとあらゆる悪事を重ねるウインゲート一家に育てられながら、イサムの心が悪に染まることはなかった。ロッテン・キャンプでの愛情に満ちた日々が、イサムが悪の道に進むことを押しとどめたのだろうか。イサムは、ウインゲートたちが留守にしている間、孤児院を襲った無法者ロス・パブロ一味の魔手から子どもたちを救ったり、暴走する馬車を命がけで止めて、クララとロバートという姉弟を救ったりする。その行動が、ウインゲート一家の手先として逮捕されたイサムの命を救い、クララの父が経営するモリソン牧場でカウボーイとして働くことにつながっていく。


この『荒野の少年イサム』の物語は、当然、拳銃アクションが魅力なのだが、ロッテン・キャンプの話や、お互いの素性を知らぬまま父が息子に柔道を教える場面、イサムのカウボーイとしての生活とクララとの交流など、ほのぼのとした温かさを感じる場面も多い。逆に、そこを丁寧に描いているがゆえに、派手な拳銃アクションのシーンは少ないと言えるかもしれない。けれども、拳銃アクション以外のシーンの存在が物語の深みをつくっている。


ウインゲート一家を母の敵と付け狙う黒人のアウトロー、ビッグ・ストーンの存在などもその魅力と深みの源泉の一つだろう。父と離れ離れになってしまった赤ん坊のイサムを最初に助けたのがビッグ・ストーンであり、コマンチ族の駅馬車中継所襲撃の場面でもイサムと共に戦い、イサムが絶体絶命のピンチに陥った時も、ビッグ・ストーンの銃がイサムの命を救っている。イサムは、ビッグ・ストーンを兄のように慕いながらも、ビッグ・ストーンと二度戦い、ウインゲート一家の人質となったクララの安全のためにビッグ・ストーンを殺してしまう。人種差別さえなかったらアウトローにはならなかったかも知れない優しさを持った黒人ガンマン。大人の目で読み直すと、イサム以上にビッグ・ストーンは心を動かされる存在である。


まずは、懐かしさゆえに手に取った『荒野の少年イサム』。けれども、通して読み直してみると、子どもの頃には気付かなかった新しい魅力もたくさん発見できた。時間のある時に、またゆっくりと、そして何度でも読み直してみようと思う。

  〔完〕

  

 【TEXT】

  『荒野の少年イサム』

1 ~ 5

     原作  山川惣治

     漫画  川崎のぼる

    二〇一三年 

    集英社復刻版コミックス

ISBN978-4-08-780694-6

ISBN978-4-08-780695-3

ISBN978-4-08-780696-0

ISBN978-4-08-780697-7

ISBN978-4-08-780698-4

 

 

 

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『ビブリア古書堂の事件手帳』《三上延/交田稜》を読む

ラックからのミニ評論30

『ビブリア古書堂の事件手帳』 
《三上延/交田稜》を読む

 

原作の小説は、メディアワークス文庫から出版され、本屋大賞にもノミネートされて話題になり、現在(二〇一三年夏)四巻まで出版されている。角川書店の雑誌にもナカノの漫画で連載され、そちらの方も三巻まで出ている。また、剛力彩芽の主演でテレビ・ドラマ化もされたが、こちらは基本設定の重要部分を大幅に変更した挙句、脚本の方もイマイチで、出演者たちがかわいそうなほどの出来だったため、視聴率も低迷し、散々な評価だったようである。


さて、マンガの方はテレビ・ドラマとは異なり、設定もストリー展開も原作に忠実で、先に原作小説を読んでいてもマンガとして安心して楽しむことができる。元の掲載雑誌の読者の好みを意識してか、角川のナカノの絵は少女マンガっぽいカワイイ絵になっているが、講談社の交田の方は幾分リアルで大人っぽい絵柄である。


メインの登場人物は、ビブリア古書堂の店主・篠川栞子(しのかわしおりこ)

と亡くなった祖母の本がきっかけで栞子と出会いビブリア古書堂で働くことになった五浦大輔(だいすけ)。古書に関わる様々な謎を2人が解いていく話である。


ただ、二人はそれぞれに問題を抱えている。栞子は対人恐怖症に近いほど他者との会話を苦手としており、それに加えて彼女の持つ古書を狙う男に石段から突き落とされ、歩行が不自由(完治しないかもしれない)である。大輔は小さい頃に祖母にひどく叱られた事件をきっかけに、本を読めない体質(本が嫌いなわけではないのだが)になってしまっている。この二人のコンビが、古書に関わる難解な謎に挑み、次々とそれを解決していくのである。


謎を解決するという点ではミステリーということになるのだろうが、殺人などには至らず、本好きな読者にはなかなか興味をそそられる。私なども、空き時間にパラパラと原作小説を読んでしまったために、当時出ていた三巻をすべてその日のうちに購入し、一気に読んでしまった口である。


また私は、不登校・ひきこもりの問題と一〇年以上関わっているが、この本を読んでいると、対人関係が不器用でも、周囲の適切なサポートによってそれなりに生きていけるし、場合によっては素晴らしい結果を生み出すことも可能となるのではないか……と思えてくる。栞子と大輔は、お互いに欠けている部分を補い合って協力しながら本の謎に挑み、それを次々と解決していくのである。


それから、一癖も二癖もありそうな登場人物の存在も面白い。姉とはうってかわっておしゃべりで誰とでもすぐ仲良くなる栞子の妹
香(あやか)、ホームレスだが古書の転売をして真面目に生活している志田、気が強いがとても優しい一面も持つ高校生・小菅奈緒、刑務所にいた過去を持つ真面目な男坂口昌志とその妻しのぶ…。いずれも、少しばかり癖はあるが、愛すべきキャラクターたちである。こうした基本については二つのマンガは忠実に原作小説を踏襲しているが、交田版の方が文香の存在感が強く出ていて、しのぶが美人に描かれている感じがする。どちらの絵柄を好むかは、読む人の自由ではあるが。


さて、交田版のマンガでは、、二巻までで『それから』『落穂拾ひ』『論理学入門』の三つのエピソードを終えて太宰治の『晩年』のエピソードのプロローグに入ったところまでが収録されている。もちろん原作小説を先に読んでいれば、その後のストリーの展開は良く知っているが、栞子と大輔のケンカもあり、それも含めて二人の絆が一層深まっていく重要なエピソードである。二巻の案内に寄れば、三巻は二〇一三年秋に発行が予定されている。交田稜がこのエピソードを漫画家としてどのように描くのかが、とても楽しみである。

  〔完〕

     

 【TEXT】

 

  『ビブリア古書堂の事件手帳』

 

     原作  三上 延

     漫画  交田 稜

    二〇一一~一二年 

    講談社アフタヌーンKC

ISBN978-4-06-387866-0

ISBN978-4-06-387901-8

 

 

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紅茶を飲むひととき

コーヒーよりも紅茶が好き。だからといって、喫茶店に入るといつも紅茶……というわけではない。よほどおいしいコーヒーでなければコーヒーを飲みたいわけではないのだが、レモンティーとミルクティーしかメニューにない喫茶店では、とても紅茶をオーダーする気にはなれない。結局、迷った末に、ココアやカフェオレを注文してしまう。
 
 

それにしても、最近はコーヒーばかりがもてはやされて、紅茶がわりとないがしろにされているような気がする。たとえば、プリンス・オブ・ウェールズ。私の好きなトワイニングの銘柄なのだが、最近では、このリーフを探すのにけっこう苦労する。ティーバッグで我慢すれば少し探せば見つかるけれど、リーフの缶は本当に見かけなくなってしまった。志摩はもちろん、伊勢や津でもどうしても見つけられず、この前、大阪に用があって出かけた時、帰りに梅田の地下街を歩きまわってやっと見つけた。

ポットをお湯で温めて、ティー・スプーンで紅茶を入れる。目安は、飲む杯数プラス香りのためにもう一杯。ゆったりとしたときに飲むと一杯ではすまないので、たいていはスプーンに三杯……ということになる。ポットに注いだお湯の中でゆっくりと紅茶の葉が開き、色と香りがお湯とポットの中ににじみだす。香りはやがてポットをこえて溢れ出し、鼻先をくすぐる。わずか数分の、そんな時間も好きだ。

でも最近は、紅茶の美味しい喫茶店にはなかなか出会えなくなった。だけど、まったくないというわけでもない。たとえば、津の駅前にあるN。T先生が三重大にいたころは紅茶の専門店だったという話を聞いたが、今は、コーヒーの方がメニューにはたくさん並んでいる。それでも、ローズティーやアップルティーもあって、ケーキやパスタもおいしい。だから、コーヒーの種類の方が多いことは許してあげようと思ってる。

他にも、鳥羽の国道沿いにあるOや、伊勢のPでも安心して紅茶を注文することができる。Oはパスタもかなりオススメ。Pのランチはボリュームたっぷりだし、カレーやペペロンチーノもおいしい。

お昼や午後のゆったりした時間。夕食後や夜のほっとできる時間。コーヒーのにおいも嫌いではないが、やっぱり私は紅茶が好きだ。最近は、フルーツ・フレーバーもいろいろ出てきているが、フォションのパッション・フルーツ・ティーが私の中ではフルーツ・フレーバー・ティーのイチオシ。それから、ハーブ・ティーもいろいろ楽しめるようになったが、カモミールはちょっと当たり外れがあるかも。静岡で飲んだ自家栽培のカモミール・ティーは本当においしかったけど、以後は、そこまでおいしいものには出会っていない。ハイビスカス・ティーやローズヒップ・ティーなどは、けっこうくせもあるけれど、そのくせも含めて、楽しめる時間がうれしい。

今、私の部屋には、八種類ほどの紅茶やハーブ・ティーが並んでいる。その日の身体の調子や心の具合に合わせ、紅茶をチョイスすることで、ささやかな幸福の時間を演出できる。でも、今のところ、一人で楽しむ場合がほとんどだ……というのは、少しさびしいかもしれない。
 
                    〔おわり〕
《海邦 遥》

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春…東北の旅

高校時代の同級生2人が、GWに、昨年に引き続いて東北に行くというので、今年は、一緒に行くことにした。今年は昨年と違って失業しておらず、それなりにお金に余裕があったこともあるが、マスコミの報道が、震災や原発事故を過去のものにしようとしている胡散臭さを感じたので、現地できちんと体験するべきだと思ったことも大きな理由だった。

予定では、5/3が移動日で岩手まで行き、二日間、陸前高田市のベースに宿泊(復興ボランティアは無料で泊まれる/友人の一人が申し込み済み)し、4,5と陸前高田市でボランティア活動をすることになっていた。ところが、出発の前日に東海地方を襲った春の嵐がそのまま北上し、東北地方をも襲った。豪雨のため、東北自動車道が仙台宮城インターで通行止めとなり、やむなく、仙台市内で高速を下りる。午前四時に伊勢を出たにもかかわらず、その時には午後八時半を過ぎていた。

 

宿泊予定のボランティア・ベースに連絡を入れ、今夜中に着けないので4日の朝に行くことを伝え、遅すぎる夕食を食べて、宿さがしを始める。が、手分けして何軒も電話するがもはやホテルはいっぱいで、結局、男三人でラブ・ホテルに泊まる羽目になった。それでも、シャワーを浴び、屋内で寝られたことは翌日の作業を考えれば、良かったかもしれない。

 

その後、豪雨のために陸前高田市のボランティア活動が中止になったことを知り、ボランティアを受け入れている南三陸町に向かう。当然、南三陸町も豪雨のために川は増水していたが、次第に雨は上がりつつあった。だが、道を通って愕然とする。がれきや壊れた車などはある程度まとめられていたが、まだ、復興どころか、復旧すら程遠い。前日から参加しているボランティアの話では、3日の日は県営住宅の部屋の泥出しをしたという。これが、1年後の東北の現実である。TV等の「忘れない」キャンペーンは、その言葉とは裏腹に、東北の現地の現実を無視して【過去】のものにして忘れ去ろうとしたいのだ、ということを実感した。これが、自らは50キロ圏外に避難して「安全」と報道し、現地に出て行ったフリーのジャーナリストたちの報道を「嘘つき」呼ばわりした連中のやっていることなのだと、あらためて思った。そして、安全性を無視して原発再稼働に執念を燃やす野田政権や官僚、財界の連中も同じ穴の狢(ムジナ)なのだ。残念ながら、これが日本の現実である。

 

 さて、その日の活動は、震災当時は社会福祉協議会の本部と老人福祉施設が置かれていた建物周辺の整備であった。海抜15メートルほどのところにあり、海からもけっこう距離がある場所にあったその建物は、あれほど大きな津波でなければ、復興センターの役割を担う場所の一つであったという。だが、未曾有の大津波はそこも襲った。すぐ上に高校があり、高校生たちが老人を助けに来たが、右のベッドの人は助けられても左のベッドの人は助けられなかった……という現場である。もう水も引き、生命力の強い雑草が茂っていたが、集められていても整理できていない書類や写真、器具などが部屋の中央にまとめられていた。作業の前に、「建物内の撮影はご遠慮ください」と、特に説明があったのは、住民の心に残った傷跡がまだまだ深いからであった。

関東や東北各地から、人によってはバスで多くのボランティアが集まってきていた。たまたま横で除草作業をしていた青年と少し話をしてみたら、なんと彼は四日市から来たと言う。お互いに、何かうれしくなった。彼と一緒に昼食を取った時に、その代金を払ってあげた(たまたま彼も手持ちの現金が心細かったという事情もある。)のは、中年後半のオッサンの見栄でもあるが、その嬉しさも大きかっただろう。

その後、ボランティアをまとめているスタッフの中にも鈴鹿から来ている若い女性がいたことを知り、彼女とも少し話をした。午後は、中庭のガラス広い。草や小石の間に大小さまざまなガラスの欠片がたくさん落ちていた。それに気付いて、最初は4人で始めたが、あまりにも多かったのでガラスを捨てに行く途中で呼びかけるとすぐに8人ほどが集まり手伝ってくれた。潮につかった桜が花を咲かせていた。

 

 

震災ボランティア2日目。南三陸町に残るという選択もあったのだが、四日市から来た青年が仲間たちと南相馬市に集まる、ということだったので、それに便乗することになった。ただ、南三陸町は「正規」のボランティアであるため、事故にあった時の保険がきくのに対し、放射能物質の汚染による立入禁止区域が解除されたばかりの南相馬市でのその活動は「民間」であるためボランティア保険がきかず怪我をしても【自己責任】になるという。まあ、50を過ぎたオッサン3人ならそれほど放射線にデリケートでもないだろう……ということで、南相馬市に向かう。宿の方も前日の失敗に懲りて、早めに連絡したために、相馬市のビジネスホテルに泊まることができた。

翌朝、南相馬の道の駅の駐車場に【非正規】ボランティアたちが集まってくる。その数は、50名を超えていた。集まった後、車で海岸へ移動。「海岸線に死体など流れ着いていないか、捜索も兼ねて見てきて下さい」との言葉にはけっこうドキリとする。だが、これが南相馬市の現実なのだ。幸いなことに人の遺体には対面せずに済んだが、重機によって片づけられた海岸堤防のすぐ近くには牛の骨がいくつか転がっていた。

 

その後、二つのグループに分かれ、潮や泥に使った道具や家具の運び出し、泥出し、ゴミ捨てなどを行う。「ゴミ」とは言っても、使えなくなった思い出深い品々も多数ある。家族の人に確認しながらの作業。水を吸って重くなった竹などにも苦労した。それでも、我々はたかが数日の「重労働」に過ぎない。それに、帰る家も働く職場も安定した収入もある。だが、ここに住み続けようとする人々の生活の「再建」はまだ始まってもいない。

少し、家の人の話を聞くこともできた。帰宅して、惨状を目の当たりにして途方に暮れた…と。けれども、皆さんが片づけを手伝ってくれて、見る見るうちにきれいになっていくのを見て、元気をもらった…と。だが、50人がかりで、数時間かけて、数件の片づけを手伝っただけで、自分としても1日か2日で筋肉痛が治まる程度の活動をしただけなのだ。それと引き換えに、マスコミが決して報道しない、政府が見ようともしない東北の被災地の真実の姿を垣間見ることができた。数日の時間とわずかな筋肉痛を引き換えにして、多くのものをいただいたのはこちらの方である。

 

 他にも、石巻市女川や飯館村の様子も見てきた。「忘れてはいけない」ではなく、「まだ終わっていない」「終わったものにしようとするのを許してはいけない」なのである。

 

 

 

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ビジョンとステップ 5

ステップ…短期的課題(周囲の人々について)

 

 

次に、当事者の家族やサポートをする周囲の人々の「ステップ」についても考えてみよう。

 

先に述べた当事者の「ステップ」をサポートするように動けば良い、というのが基本だが、家族や周囲の人に知識や外の世界と本人をつなぐ情報やネットワークを持っていれば、よりサポートは楽になる。そして、周囲の支えやサポートを受けて家族や当事者本人に接する人がある程度の知識を持ち、精神的に安定していれば、本人も安心して自分の当面の課題に取り組めるようになる。だから、当事者本人も大事だが、お父さんはお父さんなりに、お母さんはお母さんなりに自分自身も大切にするようにしなければならない。

不登校や引きこもり問題に取り組むに当たって「子ども本人が1番傷ついている。だから、子どもを1番大事にしなければならない」と言われる場合がある。それは確かに正しいし、それを貫ける精神的な強さを親や周囲が持ち得ている場合はそれで良い。しかし、大人であっても、すべての人が精神的に強い訳ではない。そうした「子どもが1番」を貫けない「弱さ」を残している場合も決して少なくない……というのが、親を始めとする大人の「現実」なのである。その意味では、自分の親や大人としての「弱さ」という「現実」を受け入れ、それから出発して、実行可能な「ステップ」を1つひとつ着実に刻んでいく……というのが、最も現実的な対応となる。

 

家族の誰かが不登校や引きこもりという状況になってしまった場合、それが数日や数週間、あるいは数ヶ月といった短い期間で改善する事は少ない。けれども、時間をかけてサポートを続ければ改善する可能性は高いし、その苦しみを乗り越えた当事者は精神的に大きく成長し、今までよりも強く、そして優しくなれるのである。

 

だから、本人の未来を信じ、息の長いサポートを続ける事こそが大事になる。逆に、親を始めとする周囲の大人たちが「本人が1番大事だから……」と、自分を殺して無理の多いサポートをしていると結局は周りがすぐに燃え尽きてしまい後が続かなくなるのである。サポートが消滅すれば本人の心もより不安定になるし、家族も含めた状況はより悪化する可能性が高くなる。

 

その意味で、自分自身の弱さも含めた「現実」から出発する事は自分のためというだけではなく、長い目で見れば当事者にとってもプラスになる事なのである。だからこそ、親や家族の一員である自分自身も大切にしなければならない。もちろん、その際にはある場面・場面で当事者の要求と自分自身の「現実」とがぶつかり合う場合も出てくるだろう。けれども、その中でお互いに折り合いをつけ、関係を良い方向に持っていく努力をする事は、当事者にとっても大切な経験となり得る。

 

そうした意味で、親や周囲の大人も「現実」を受け入れながら、続けられる努力を重ねれば良いと考えられる。そして、今の時点で行っている対応や努力が続けられない(あるいは非常に負担に感じる)ならば、それは、自分の「現実」をきちんと見つめきれていない可能性が高いので、もう1度「現実」を見つめ直せば良いのである。

 

その時には、すべてを1人で背負う必要はない。他の家族や、信頼できる友人や知人・仲間にサポートをしてもらっても構わないのである。そうやって、「現実」を見つめ直せば、親や家族としての「自分」の新しい「ステップ」が見えてくるだろう。それに合わせて、今の時点の努力を、長く続けられるものに修正していけば良いのである。

 

その際に、親や家族としての思いを伝えていく事も大切である。それが、親としての自分・家族としての自分を大切にする事にもつながってくる。本人と自分、どちらかではなく両方ともが大切であり、自分にとっても当事者本人にとってもかけがえのない存在なのである。

 

が、そうした「思い」を伝える際には、解決を焦って《イベント》を企画しないように心がけた方が良いだろう。何かをきっかけに状況が好転する事は確かにあるが、安易な「きっかけ」を周囲の大人の側が用意しても、当事者本人に見透かされたりして、返って状況が悪化する事も少なくない。それよりも、日常的な努力の積み重ねの過程で起こる《アクシデント》が、本当の意味での「きっかけ」となる確率が高いのである。

 

サポートを地道に続けていけば、機が熟した時に《アクシデント》が起こる。その時を逃さずに、そうした《アクシデント》を当事者本人が自分の力で越えていけるようにサポートしてやる事が大切なのである。その際に必要なのは「焦らずに待つ」という心の姿勢と、小さな事でも愛情を持って見守り続ける粘り強さである。このような努力と配慮を続けていれば、ゆっくりとでも、確実に歩みは進んでいく。それを信じて、自分の能力・体力・時間の可能な範囲で続けられる事をしていけば良いだろう。

 

とは言っても、地道に努力を続ける事は確かに苦しい。けれども、正しい努力を続けていれば、必ず、手を差し伸べてくれる人が出てくる。確かに、今もまだ、苦しく辛いかもしれない。しかし、この文章を読んでいる人には、少なくとも1つ以上は、共に考え、サポートしてくれる人や「場」が存在している筈である。10年前にはなかったけれど、今は存在する「場」も、いくつかあるだろう。その意味では、環境も少しずつ変化してきている。小さな努力でも、それを積み重ねていけば、いつの間にか出来るようになっている事がある。

 

「ぼちぼちいこか」

 

この言葉を、拙文を読んでいただいたすべての方に贈りたいと思う。

〔完〕 

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ビジョンとステップ 4

ステップ…短期的課題(当事者について)

 

 

今まで「現実」を受け入れる事が「ステップ」につながっていく事を述べたが、この「ステップ」についても「ビジョン」と同様にそれを必ずしも固定的に考える必要はない、という事を記しておこう。と言うよりも、「現実」は常に変化するものである以上、「ステップ」は方向性さえしっかりしている限りは「ビジョン」以上に状況に応じて変えていけば良いものである。

 

まずは、当事者本人の「ステップ」について考えてみよう。

 

例えば、高校卒業の資格を取るために、定時制や通信制の受験を考え始めたとしよう。本人の「現実」として中1から学校へ行ってない状況があるとしたら、中1の勉強を始める事が取りあえずの「ステップ」となり得る。しかし、問題を解いてみたら、まったく分からない……という「現実」があったとしたら、分数計算から良く分かっていなかったというような新しい「現実」が見えてくる。それを本人が受け入れられない場合は「わからない」「集中できない」といって逃げたり、自分をごまかしたりする事もあるかも知れない。あるいは「どうせ自分はできないのだ」とやけになって勉強そのものをやめてしまうような場合も少なくないだろう。が、新しい「現実」を本人が受け入れられたら話は簡単になる。そう、中1の問題と「現実」の間に、《分数計算をできるようにする》というさらに細かい「ステップ」を追加すれば良いのである。

 

と、文章で書けば簡単に思えるかも知れない。が、決してそうではない。私が高校で数学を教えていた時でも、こちらが観察していれば〔分数の計算のところでつまっている〕ことか分かっていても、本人がなかなか「分からない」が言えないで、結局、授業そのものが止まってしまう場合が何度もあった。「分からない」の一言が出れば、その時点から例えば分数の計算まで含めた説明をしていけるので授業も進むし、本人以外の分数計算の分からない生徒にとってもプラスになるのだが、それが出ないためにただ時間だけが過ぎていく。その背景には本人のプライドやその他様々な心理的な問題がいろいろとあるが、とにかく、「分からない」と言うだけの簡単な「一歩」がどうしても踏み出せないのである。

 

自分の能力が不足している事を認めるのは辛い事である。そして、点数主義や能力・成果主義の環境に傷つけられて不登校や引きこもりになってしまったような場合は、「分からない」「出来ない」が、単なるその場での否定的評価にとどまらず、いじめや攻撃のきっかけの1つになった場合も少なからずあるように思われる。そのような経験が積み重なっていれば、簡単に「分からない」「出来ない」が言えなくなってしまうのも当然であろう。

 

しかし、考えてもらいたいのは、人間という存在を評価する場合に、点数主義や能力・成果主義は、たくさんある評価のうちの1つに過ぎないという事である。そして、社会の中には、それ以外の様々な視点で人間を見るちからを持った人が少なからず存在する。その様な人々と出会い、関係を深めていく事で、道は開けてくるのである。

 

そしてもう1つ、「分からない」「出来ない」というのは、現時点での事であって、その「現実」から目をそらさずに必要な努力を続ければ、やがて、「分かった」「出来た」と言える可能性がある、という事も事実である。だから、「今、分からない」という事実は、決して「分からない人間は能力がなく、価値もない」という事とつながっていない。「分からない」という現実を受け入れる心の強さを持つ事が出来るようになれば、そこから「分かるようになる」ためのステップが見えてくる。そして、周囲の信頼できる人のサポート受ければ、より効率的に学習や訓練を進められるようになっていくのである。

 

けれども、引きこもりが続いているような状況がある場合は、その周囲のサポートを受ける事自体に困難を伴う場合がある。そのような場合には、そうした〔人間関係を結ぶのに不安や恐怖を感じる〕という「現実」から出発すれば良い。確かに、その「現実」を改善するのは簡単な事ではないかも知れない。しかし、時間をかけて地道に取り組めば、必ずしも不可能なわけではない。ポイントは、2つある。知識と継続できる地道な努力である。

 

対人関係に対する不安や恐怖……というのは、ある意味では感覚・感情的なものなので、知識を持っている場合であっても簡単に直せる訳ではない。けれども、知識として知っていれば、慌てたりパニックになったりする事なく、多少なりとも冷静に自分で対処する事が可能になる。

 

例えば、私は5年程前の冬、何事に対してもやる気が起きなくなり、また眠りたくない……というような状態になった。多少なりとも心理学的な知識があった私は、「今、少し鬱状態になっている」と判断し、流れに身を任せる事にした。つまり、目前に迫った必要最低限の仕事以外はすべて可能な限り先送りをし、夜は身体が疲れて眠くなるまでひたすらTVゲームを続け、音楽(実はかなりの音楽好きで、クラッシックからジャズ、シャンソンやニューミュージック、TVや映画のサントラなど、持っているCDだけでも500枚は下らないのだが)はと言えば、通常はあまり長時間は聞きたくないと思っている陰鬱な森田童子の歌だけをひたすら聞き続けたのである。そして、およそ1ヶ月程でその状態から抜け出し、1月の終わり頃には普通の状態に回復していた。

 

引きこもり状態が長引いている場合は、対人関係に対する不安や恐怖感は私の例とは比べものにならない程強いので、こんなに簡単に回復するわけではないが、多少なりとも心理学的な知識があれば、その知識がない場合よりも自分をコントロールしやすくなる。例えば、「お父さんに毎日挨拶をする」というような持続可能な行動目標を「ステップ」として自分で設定し、それを繰り返していく。最初はぎこちないだろうし、やっていく際の違和感も半端なものではないだろうが、それを1週間…1ヶ月…半年…と続けていく中で、徐々にお父さんと言葉を交わす時に感じる不安や違和感が小さくなって、やがては知らない間にそれが消えている事に気づくだろう。

 

周囲の知識のない人から見れば「そんな簡単な事が……」と思われるかも知れないが、当事者の不安の大きさと日常化する中での解消効果は一般的に考えられているよりも大きいのである。だから、簡単な事でも続ける事が大切だし、必要に応じて「ステップ」は修正していくらでも細かく刻めば良い。時間をかけて努力を重ねれば、知らないうちに心の中の重しや違和感は小さくなって消えていくのである。あせらずに、続けられる努力を積み重ねていく事で、少しずつ周囲との折り合いがつき、崩れてしまっていた周囲の人々や「世界」との関係を再構築できるだろう。

 

そのように考えて、息の長い努力を続けていく事が、結局は、自分の状況を改善する早道となる。あせらず、自分の未来を信じて地道に努力を続ければ、やがて少しずつ理解してくれる人が現れてくる。やがてその先で、「世界」と和解できる日が訪れるであろう。

 

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ビジョンとステップ 3

 

「居場所」と現実

 

 

ビジョン……それは未来への夢を描く力、と言えるかも知れないが、それはまた自分を精神的に支える「居場所」の存在と、自分自身の現実をきちんと見つめる能力によって支えられているものである。

 

不登校の場合は主に「学校」の中での関係に問題を抱えていると思われるが、引きこもりの場合は「周囲」を取り巻く関係で深く傷ついているために関係をほとんど閉ざしてしまっている、という状態であると考えられる。

 

その意味では、先へ進む以前に、傷ついた心を癒す「居場所」の構築が最優先の必要事項となる。ここで言う「居場所」とは、単なるスペース(空間)という意味にとどまらず、その場における人間関係をも含める。自分自身の悪い部分や嫌な部分も含めて丸ごと受け入れてくれる人がいる「場」、「良い子」を演じ緊張し続けなくても良いその時の「ありのままの自分」でいられる「場」、疲れきった自分を無防備にさらけ出しても危険のない「場」、ゆっくり心身ともに疲れを癒す事のできる「場」……。それが、1人の人間にとっての「居場所」であり、多くの人間にとってその最も大切で基本的な「居場所」と信じられているのが「家族」であろう。

 

ここで、1人ひとりが自分自身を振り返ってみると良いかも知れない。「家族」が自分にとっての「居場所」となり得ているか、そして他の家族にとってはどうか……と。皆が「家族」を大切な「居場所」だと感じているように思われる場合はそれで良い。が、そう感じられない誰かがいるように思う場合は、それを少しずつでも改善するために自分が出来そうな事を併せて考えてみよう。無理なく、続けられる小さな努力……。必ずしも、引きこもりの当事者のみではなく、お父さんやおばあさんに対しても何か考える必要があるかも知れない。

 

表面に出ている誰かよりも、実は隠れている誰かの抱える問題が、状況を変えていくきっかけとなる場合がある。そして、隠れている誰かの問題への取り組みの方が簡単で取り組み易かったりもする。その結果、隠れていた問題を解決した誰かが、やがて大きな支えとなってくれたりもする。最初の努力は、無理なく続けられる小さなものかも知れない。けれども、そうした「小さな努力」を積み重ねて、家族全員の「居場所」を再構築するのである。それが、「周囲の人」に出来る第1歩ではないか、と思われる。

 

しかし、注意して欲しいのは、すべてを「家族」で背負う必要はないと言う事と、誰もが「居場所」を複数持てる方がより安心・安定して、他の事や新しい事に取り組んでいけるという事である。

 

私自身を振り返って見ても、実は、たくさんの「居場所」に恵まれている事に気づく。家族はもちろんだが、他にも文学の関係では「青い鳥」ペンクラブと「石の詩」同人という居場所がある。フレネ教育研究会や三重フレネ研究会も大切な「居場所」の1つである。国際交流ボランティアの仲間たちもいる。美味しいウィスキーとカラオケを楽しむ常連として通う店も安心して楽しめ、くつろげる「居場所」かも知れない。それらの「居場所」に様々な形で支えられながら、教育実践や文学、不登校ひきこもり問題や日本語教育に取り組み続ける事が出来るのである。

 

そして、新しい「場」は、自らが心を開き、関係を続け、深めていく中で「居場所」となっていく。1人で悩んでいないで、まず、扉を叩く事で、扉は開かれる。そして、そこでの出会いが新しい道を開いてくれる。

 

最初は、その場にいて話を聞くだけの関わり方でスタートしても、「お父さんも連れて参加しよう」と考えたり、他の人の話を聞いて「私のところでは、……でした」というような形で体験を語り、少しでも参考になれば……と心を砕くことが出来るようになったりしていくかも知れない。それらのすべてが、関係を深める行動であると同時に、「居場所」を作っていく事にもつながっているのである。

 

子どもの不登校や引きこもりで悩んでいたお母さんが、例えば、三重県・考える会という家族会に参加したとしよう。そこで悩みを話す事で、自分の考えや行動を再確認できるし、経験者や助言者からのアドバイスを聞く事も出来るかも知れない。それによって不安が小さくなれば、同じ様に参加しているけれどもまだ心のゆとりを持てない様な誰かのために自分の体験を話してあげられるようになるかも知れない。そうなった時、そこはそのお母さんにとっての「居場所」となる。「居場所」が増えれば、精神的にも安定してくるし、精神的な安定は他の人への接し方の変化につながっていく。そこに「居場所」としての「家庭」の変化・「家族」の変化の第1歩につながる何かが生じているのである。

 

心が安定してくれば、今まで見ようとしなかった「現実」、気づく事を恐れていた「現実」を見つめる強さが生まれてくる。アルフォンス・デーケンは、癌などの不治の病に直面した時の一般的な反応について、現実否認・怒り・悲しみ・孤独などを味わう場合が多いと述べている。が、そうした怒りや苦しみ・悲しみを乗り越えて自分の運命を受容出来た人は新しい希望を見出し、豊かな生を全うしている、という事を指摘している(A・デーケン『死とどう向き合うか』 NHK出版 1996年)が、こうした【現実否認・怒り・悲しみ・孤独・そして現実の受容】という一連の経過とその立ち直りの過程は、不登校や引きこもりに悩む当事者やその家族にも、ある種、共通するものがあるように思われる。

 

例えば、誰かが不登校や引きこもりになったとしよう。当事者である本人自身も、どうしてそうなったのか分からない場合が少なくないので、苦しみ、怒り、荒れ、同時に「誰も分かってくれない」という孤独感にさいなまれる事がけっこう多いだろう。だが「学校へ行けない」とか「外に出られない」という現実をまず受け入れれば、その中で、今できる事と、今はまだ出来ない事、これからの一生の中で時間がかかっても出来るようになりたい事などがだんだんと形になってはっきりしてくる。そこまでくれば、「今やれる事」を積み重ねていく中で、徐々に自分の力を伸ばし、周囲の人々や社会との関係性を再構築していけるようになっていくだろう。

 

家族の立場からも同じような事が言える。子どもが不登校や引きこもりになった時、多くのお父さんやお母さんはその「現実」を受け入れられず、怒り、苦しみ、当事者を責めたり、あるいは周囲に相談出来ずにひた隠しにして孤独感にさいなまれ、「なぜ家の子だけが……」と思い、苦しんだり悲しんだりする事が多いのではないだろうか。そして、「なぜお前は……」と本人を責めたり、「お前が甘やかすから……育て方が悪かったから……」とお母さんだけに責任を押し付けたりする場合も少なくないように思われる。その結果、お互いを信じられなくなり、「家族」が「居場所」としての機能を果たせなくなってしまう。「現実」を受け入れるのは大変な作業だが、それから逃げている限り苦しみは続くのである。

 

だが、子どもが不登校や引きこもりになってしまったという「現実」を誰かが受け入れ始めた時、「家の子だけではない」という事が分かってくるし、周りには敵ばかりではなく、理解し、手を差し伸べてくれる人や「場」がある事も見えてくる。そうなれば、「家族」や「学校」が本人の「居場所」となり得ているかを確認出来るし、その中で、「今やれる事」もだんだんと見えてくるようになる。

 

いずれにしても、「居場所」を確保し、「現実」を受け入れていく事で、ゆっくりとではあるが確実に歩みは進み始める。そして、本人なりの、あるいは本人を支える家族の人それぞれ独自の、これからの「ビジョン」と、「今やれる事」や「もう少ししたら出来るようになるかも知れない事」が見えてくるようになる。これらが「ステップ」すなわち(短期的な課題・目標)である。次に、これについて詳しく検討してみよう。

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ビジョンとステップ 2

     ビジョン…将来的な目標

200312月に入り、日本政府によるビジョンのないイラクへの自衛隊派遣の閣議決定がなされ、2004年から自衛隊がイラクでの活動を行った。イラクでの陸上自衛隊の活動は終わったが、多国籍軍への燃料の補給など、長期的な外交ビジョンを持たないままアメリカの要求を無批判に受け入れる活動は2008年の10月現在も続いている。

 

国民の審判を受けていない無責任与党の迷走の続く状況は現在も変わらないが、不登校やひきこもりなど緊急かつ地道に取り組まなければならない問題をかかえている私たちは、小泉や安倍、福田や麻生といったこのところの自公政権の総理たちの様に自らの権力維持のために必要な説明をごまかし、追及を受けると感情的な暴言と居直りで相手の論理的な質問をずらし、重大な決定を政争の道具にして権力を弄ぶような時間的・精神的余裕はない。問題の解決や改善のために、今、必要なものは、将来に向けての納得でき、努力する気力を失わせないような希望である。

 

不登校ひきこもりの問題でも、そのような希望が、本人と家族や周囲の人々の中で明確になれば、努力する方向が見えてくる。そうした意味でのビジョンについて……本人のビジョンとそれを支えようとする家族のビジョンについて考えてみたいと思う。

 

まず、当事者本人について考えてみよう。不登校・ひきこもりの問題で苦しむ当事者の中で少なからず見受けられるのが「どうせ私なんか……」という否定的な思いである。それは、1つは自分に対する自信のなさと将来に向けての展望が見えてこない事による焦りや苛立ちに由来するケースが多い。したがって、ある意味ではそこがはっきりしてくれば、精神的にも落ち着きを取り戻し、目標に向かって努力するための第1歩を踏み出す事が可能となる。そして、可能な範囲での努力を確実に積み上げていく事が自信につながり、自己肯定にもつながっていく。

 

だが、自信や自己肯定は、実は不登校や引きこもりとはまったく無関係に見える「普通の人」にとっても、けっこう重要な課題になっている場合がある。授業中に携帯電話でメールをしたり、大人に怒られるような事を繰り返したりする「元気な高校生」たちの中にも、自分の夢や希望が見えない苛立ちから反抗や非社会的行動を繰り返す者が少なからずいる。

 

高校生たちばかりではない。その意味では、どこかの国の総理を務め、政権担当時に行った「改革」のボロが明らかになり始めた時点で「引退」に走る小泉純一郎や、途中で政権を投げ出した安倍晋三、福田康夫などもそうした例に当てはまるかも知れない。国の将来に対するビジョンも何もないがゆえにまともな説明も出来ず、「丸投げ」や「感情的な言い逃れ」を繰り返す。国の将来ではなく「権力維持」のための「自分の決定」に固執し、状況が変化してもそれを認め改めるという事ができず(改めれば権力の座から滑り落ちるという恐怖感があるからかも知れないが……)、自分を守るという目的だけのために、矛盾が露呈している方向へしゃにむに周囲を強制して進んでいこうとする。だから、状況が変化すると対応できなくなって政権を途中で投げ出したりもする。この様な行動を見ても、「現実認識能力」を持たない彼らの「現実」やその頼りない力量が浮かび上がってくる。

 

こうした例からも分かるように、ビジョンを持つ事はかなり大変である。それは、人間関係に問題を抱えている不登校や引きこもりに悩む当事者にとっては「普通の人」以上に重い……と感じられる「大変さ」かも知れない。その「大変さ」を意識しつつも、私はやはり「ビジョンを持つ事が大切である」と伝えたい。その上で、付け加えたいのは、何も「完全無欠」の変更のきかない「ビジョン」である必要はない、という事である。

 

それを探すキー・ワードは「自分の好きな事」あるいは「自分が穏やかな心で取り組める事」であろう。例えば、花に囲まれていると落ち着く……というような人は、それを生かして何かをする事を考えればよい。華道から日本文化の研究へ進んでいくかも知れないし、園芸から農業への道を選択するような場合もあるかも知れない。とりあえずの方向性を決めて、それにそった活動や勉強を続けていく中で自分の中に見えてくるものがある。地道に続けられる活動や勉強が、自分の心を安定させ、力を育てていき、自信と自分を取り巻く世界に対する信頼感を回復させる。その中で新たな道が見えてきた場合は、ビジョンを修正していけば良いのである。

 

このような発想は、ある意味では周囲の人々、特に家族においても同様だが、正直な話、家族の立場からすれば、それなりに自立して、地域の中で社会生活を営んでいけるような力を身につけ、将来的に自立していければ良いと考えれば取りあえずは十分ではないかと思われる。

 

何も、本人が接触する、あるいは出会うすべての人と上手に関係を結ぶ必要はないし、世間一般と比較して飛びぬけた収入や地位を望むような「押し付け」は、真摯に不登校やひきこもりの問題と向き合い、その現実から多くを学んだ人たちとは無縁の考えだと想像できるからである。

 

しかし、大切な家族や関わりを持つ相手の事を真剣に思っていれば、「それなりの自立」という実体は必要だと考えるであろう。自分たちの暮らす地域社会で、多少不器用ではあっても、それなりに生活を維持していければ、それは「自立している」と見てもかまわないだろう。だから、非常に大まかな表現になるが当事者の「それなりの自立」という事は、家族や周囲の人々にとって、当面のビジョンとなり得るのである。

 

何も、東京へ行っても札幌へ行っても、パリやバンコクへ行っても、すぐに自立できるような能力が普通の人間に必要なわけではない。必要なのは、自分が暮らす地域で、周囲の人や自分にとって大切な人との関係をきちんと結びながら、家族トータルとして経済的にもやっていけるという確信が持てることが「それなりの自立」の中身だと考えて良いだろう。

 

そのように肩の力を抜いて考えると、精神的にも日常的にもゆとりが生まれてくる。時間の経過の中で「ビジョン」は微妙に変化していっても良いだろうし、当事者の「現実」が変化していけば、当然「ビジョン」そのものも変化してくる事を前提に、周囲のサポートもその変化に合わせて変えていけばよいと言う事になる。

 

ゴールという意味ではなく、当面、高卒の資格を取ることを目標として設定するとしよう。当事者の現実を見つめていけば、通信制・定時制・大検など様々なルートの中で、当事者の個性やその時点の力量から考えて何とかなりそうなルートが見えてくるかも知れない。

 

それに伴って、学力面、体力面、対人関係面など、様々な課題もまた見えてくるだろう。どこから手をつけ、どこを後回しにし、それぞれについて誰から、どのようなサポートが受けられるのか。それらの点は状況によって異なるし、また変化もするだろう。そして、場合によっては「高卒の資格」を必要としないルートに進む事になるかも知れない。けれども、きちんと取り組み、1歩ずつ歩みを進めていった結果の変更であれば、それはそれでかまわない。大切なのは自分で考え、納得して進んでいく事なのである。

 

それぞれの状況や個性に合った方向性、それが必要な「ビジョン」であり、それはまた、状況の変化に合わせて修正していけるものでもある。短期的な「結果」に拘ったりせずに、じっくり、そしてゆっくりと歩みを進めていくという覚悟と決意が、結局は状況を好転させていく事につながっていくだろう。そのような気持ちで日々の努力を続ければ良いのである。

 

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ビジョンとステップ 1

はじめに

 

このところ、不登校・ひきこもり問題の相談やシンポジウムでの発言などの中で、ビジョン(将来的な目標)とステップ(それに向かって持続的に努力可能な短期的課題)について触れる事が少なくない。不登校・ひきこもりの問題では、本人にとっての具体的な課題としてのステップという視点ばかりでなく、家族をはじめ周囲で支える人々の具体的な課題としてステップを考えていく事は、様々な意味で重要な事を多く含んでいるので、現時点での考えを一度まとめる必要を痛感し、その思いがこのレポートを書き始めるきっかけとなった。何名もの方との約束を実行するという意味も含めて、これからそうした意味のビジョンとステップについて丁寧に考えてみようと思う。ただ、ビジョンとステップについては、不登校ひきこもり問題ばかりでなく、様々な問題を考えていく上でも大切な視点である。その点は意識しながら読んでいただくといいかもしれない。

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