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『世界「最終」戦争論』を読む

ラックからのミニ評論36

 

『世界「最終」戦争論』内田樹・姜尚中を読む

 


この本を手に取ったのは、以前から内田樹の著作に何度か触れて、それがけっこう面白かったことによる。また、対談相手の姜尚中については、週刊誌等の執筆記事で目にしてはいたが、本を買おうという気にまではなっていない。ただ、姜尚中の鋭さはけっこう気にいっていたので、この二人の対談なら面白いだろうな、という思いもあった。そしてまた《近代の終焉を超えて》という副題にも心を惹かれた。読んだ結果は、読む前の予想をはるかに上回る面白さだった。


二人の話は昨年(二〇一五年)十一月のパリの同時多発テロのことから始まる。なぜ、パリ/フランスなのかという疑問は、実はフランスが第二次世界大戦時のヴァシー政権による加害(ナチスへの協力による虐殺への加担)の罪をうやむやにすることで戦争責任をごまかしていたという話である程度すっきりする。それをごまかすことで、自らの抱える格差・差別への矛盾ときちんと向き合えていない現実がテロを呼び込むことにつながっているということだ。


これは、心理的にも納得できる話である。と同時に、わが祖国・日本の現状ともリンクする話であり、日本の将来を思うと暗い気持ちになる。例えば日本は、広島や長崎、東京大空襲などで無差別爆撃を受け多くの一般国民が亡くなった……という意味では、国民は被害者である。だが、日本は例えば南京や重慶などの都市に「渡洋爆撃」という形で無差別爆撃を行った加害者でもある。だが、アベシンゾウをはじめとする少なくない政治家たちが、こうした日本の加害責任と向き合わず事実を矮小化したりなかったものにしようとしたりするゴマカシを平気で行っている。それは、差別やヘイト・スピーチなどとも心情的につながっていることは明白で、それが日本にテロを呼び込む原因の一つになるかも知れないのである。


そして、格差の拡大は新自由主義政策ともからむ。二人の話は、グローバル資本主義自体が、アメリカ標準を世界に押しつけたものに過ぎず、そのことがイスラム世界の価値観とうまく調和できず、新自由主義による格差の拡大がテロや多量の難民を生み出す大きな要因の一つである、と看破する。新自由主義による格差の拡大は日ごろから感じていたことではあったが、それがテロばかりでなく、多量の難民の発生とも深く関わっていたという点については、目から鱗……だった。この一点が理解できただけでも、この本を買い求めた価値があったと思う。


他にも、新自由主義の「効率」からすれば、基本的人権や環境が効率化の阻害要因となる……という話と安倍自民の憲法改正案とのリンクや、日本が近代以降、エネルギー政策でいかに多くの人間を犠牲にしてきたかという話とフクシマでの作業員の現実など、安倍政権の非道な所業のバックに存在する新自由主義の問題についても多くの知見が提供されている。普通の人々の幸せのために新自由主義をどう超克していくか。それは今後の重要な課題であり、この本は今の現実を理解する上で重要な補助線となる内容に満ちているなあ、としみじみ感じた。


新自由主義による日本の荒廃はどんどん進んでいる。それは、シビアな現実だし、人間の欲望が深く関わっている以上、その流れを変えるのは必ずしも簡単ではない。けれども、努力を重ねている人たちはたくさんいるし、今、自分がやれそうなこともいくつかある。やれることを重ねながら、少しずつ流れを変えていく努力を続けていきたいと思う。

                         〔完〕

 

 【TEXT】

  『世界「最終」戦争論』

    ―近代の終焉を超えて―

    作  内田樹・姜尚中

       二〇一六年 

    集英社新書

 

ISBN978-4-08-720836-8

 

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