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ユートピア論 2

 

   私たちのユートピア ②

 

この「教育のユートピア」について、もう少し考えてみよう。

 

まず、「教育」の中身である。1人ひとりのさまざまな能力を伸ばすことが目的である以上、選別のための競争原理や効率主義、教育内容の押しつけなどがあってはならない。しかし残念なことに日本の教育の現状はそれらが我が物顔にのさばっている。太平洋戦争の反省からそれを阻止するために制定された教育基本法は、郵政民営化の是非を問うのみの世論によって多数をとった政権与党が、慎重論も反対論もある中で十分な議論もせずに改悪してしまった。その結果、日本の教育は、予算の面でも内容の面でも、とても「先進国」などとは恥ずかしくて言えない状況に陥って、荒廃が進んでいるである。

 

本来の、市民のための教育を目指す教育行政として特筆すべきは、2年連続で全国一斉学力テストへの参加を拒否した愛知県犬山市のそれであろう。全国に先駆けて30人学級を完全実施し、教育の自由を保障することで実力のある教師を集め、成果を上げている。その自信があるからこそ、目的がはっきりせず競争原理に利用されかねない全国一斉学力テストを拒否したのである。現に、問題の質を変えたことでデータ比較の意味はなくなってしまうし、私立学校の参加も激変している。全国一斉学力テストなど、文部科学省のアリバイ作りと税金の無駄遣い以外の何ものでもない。

 

国民・市民のための教育においては、学習の期間や内容については大幅なゆとりが設けられ、学習者の状態や状況に応じて変更されるようにする。そのためには、当然、旧来の日本の学校とは異なる教育方法が取られることになる。それは、教科書などによって固定された内容を強制的に覚えさせられ、その知識の量や処理能力によって選別させられるような上から押し付けられる教育ではなく、学習者1人ひとりの可能性を認め、それを信じて展開される「対話の教育」である。

 

「対話の教育」では、学習者の可能性に絶対の信頼が置かれ、1人ひとりの学習者の立場に立って教育が展開されていく。それは、学習者の発言、文章・絵画・音楽・身体の動きといった、学習者自身の表現から出発し、学習者と指導者、あるいは学習者相互の対話の中で興味や知識や行動を練り上げていく形で進められる。イメージとして、ソクラテスが若者たちと対話をしながら彼等の内から知識を引き出していったやり方を想像すると分かりやすいかも知れない。それが、1学習者と指導者との間だけで行われるのではなく、学習者相互の間でも対話などを通してお互いに影響を及ぼし合いながら共に高まっていくのである。

 

このような形で1人ひとりが学習を進めていくと、その過程で学習者相互の間に豊かな人間関係が形成されていく。対話を通して、共感や相互理解が得られ、それがさらに深まっていくからである。またその中でお互いに正しく評価する姿勢をも学んでいくだろう。こうして学習者は、お互いの存在を尊重しあい、また、お互いに協力しあいながら、自分の可能性を無限に追及していくことが出来るのである。

 

この教育の前提として、学習をするための条件が国や公共団体を中心にして整備されていなければならない。しかし、それは、あくまでも外的条件であって、内容についてまで口出しすることは許されない。(この点は改悪前の教育基本法第10条でもはっきりと規定されていた。太平洋戦争の反省から教育への政治介入を極力排除しようとしていた筈なのだが、現状へといたった道筋はどうだったろうか……。)学習内容の強制は、その枠内に学習の展開を閉じ込めることとなり、発達の可能性を制限してしまうからである。学習内容に強制は要らない。個人の興味や関心から出発しても、整えられた条件のもとで学習が展開され、深まっていけば、ごく自然に様々な分野との関連が生まれ、実践的可能性や応用力に富んだ学力が1人ひとりの身についていくのである。

 

また、年齢による制限・制約を排除し、たとえ老人であっても、いわゆる学齢期を越えた人であっても、自分の現在の発達段階や知識の状態に応じた学校で自由に学習出来なければならない。学習者の年齢や理解の速度、学習する場に因る差別は完全に否定されるということも重要な条件である。そして、必要とあれば、仕事を一時休職してでも学習することに社会の理解が得られる状況も必要である。

 

こうして、徹底的に学習を保障する事は、様々な分野での基礎研究や技術の研究・開発の土壌を豊かにし、長期的な展望に立てば、産業のさらなる発展をも約束してくれるものとなるだろう。教育は、まさしく、「国家百年の計」なのだ。1人ひとりの幸福を考えた教育を実現出来れば、それは、1人ひとりが幸福に生きられる社会につながっていくのである。

 

このような形で、教育が1人ひとりの学習を保障する社会が実現すれば、当然、その構成員であるすべての人の能力が高まり、それによって社会も無限に発展していくことになる。常に前進し、発展していく社会……。そこは、希望と活気に満ち、その構成員1人ひとりが「生きがい」を持って生きていくことの出来る社会である。これこそ、まさしくユートピアと言えるだろう。

 

その社会を、より具体的に描く事は止めておこう。私の限りある想像力で、無限の可能性を持つ世界を思い描くことは不可能だからである。1人の人間の想像力に収まり切れない程の可能性を持った世界、それこそ、「私の」ではなく、「私たちのユートピア」なのである。

〔完〕

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コメント

「TAC」様
 本日も興味深く拝読させて頂きました。
私のようなエンジニアにも良く分る内容でした。
 私の友人の1人にも「教育論」の好きな人がいて、良く話を致しますが、基本的に本日ご提示いただきました内容と同じであると思います。

 ご提示の「教育」が回復する事を私も心から願っています。

 全国一斉学力テストが個々の生徒の能力を伸ばすのに弊害で、「競争原理」に利用されるとしたら、空しいことです。ご指摘の通りに「教育は百年の計」です。論議を深めて原点に帰るべきと私も考えています。税金は教育官僚のトップ、一部の政治家、経済界の利用であってはなりません。人間の真の幸福に関る事柄です。残念ながら、現在の教育のあり方の論議のあり方は公正の原則に反していると感じています。

 私も30才頃から、学校も企業教育も「対話型教育」を提唱し、自分の行う企業の技術教育はそのように実践をして来ました。誰よりも「大変分りやすい」と評価され、学校教育もそうあって欲しいといつも願っています。関係者がもっと研究し導入をして欲しいと思っています。現にその方法を取り入れている北欧の国では子供の問題解決能力と学力も高い結果が出ていると報告されていました。会話型は教育者、生徒の双方に大きな益をもたらすと考えます。大賛成です。

 対話型教育は自分で考えて正しい結論を導き出す能力を高める点で基本的な教育方法と思います。

 聖書を学びますと、まさにイエスはこの方法を用いて弟子たちを教育し、人々を導きました。「あなたはどう考えますか?」と対話型の原則を示しておられます。

 余談ですが、若い頃から「ユダヤ人が賢い」と言う言葉を聞き、なぜ彼らが賢いのかを考えていました。聖書を読んだ時に答えを見出しました。聖書は対話をし、様々な角度から考え、黙想する事を促しています。鵜呑みにする思考パターンではなく、「それはなぜか」と考えるように促し、自ら進んで調べるように促しています。神の深い知恵が秘められています。「考え続ける」習慣が真理を見極めるので、賢くする事が分りました。

 私は教育の基本は愛、公正(義)、慎み、親切、善良、辛抱強さ、温和。自制、謙遜等を学び続けて、それを土台とし、リンクする学校教育の手法を「対話型」にして欲しいと思っています。

 ご指摘の通りに、人間の尊厳が守られて、個々の能力が最大限に生かせる教育こそが真の教育と思っています。そうした世界はまさにユートピアです。歓呼の叫びが上がると思います。そのユートピアが「神の王国」なのです。

 今日も良い提案を分りやすく拝読できました。有難う御座います。

追伸:人間の誠実な努力を否定する気持ちは全くありません。善良にして、聖なる心で「神のご意志に調和した」努力をする人々に、ユートピア、つまりエホバ神がイエスを通して約束された「パラダイス」の回復の地で祝福をされます。その時にご提案の全てが満たされます。単なる夢ではありません。その時まで人間は最善の努力をして、見出されるように神の教えも勧めています。力を尽くして励むようにまさに勧めています(ペテロ第二3:11~14)。ご参考まで。 


 

 

投稿: 宮崎 寛 | 2008年9月 5日 (金) 01時05分

対話の教育については、パウロ・フレイレという人の教育論がとても重要な指摘を含んでいます。里美実という先生などが訳していて、何冊か日本でも訳書も出ていますので、機会があれば目を通してみてください。

というか、私が首相であれば、文部科学省の職員すべてに、パウロ・フレイレやセレスタン・フレネなどの教育論を研修させますね。彼らの教育論を実現して威光と動き出せば、本当の意味で国民自身のためになる教育システムができると思います。

投稿: TAC | 2008年9月 6日 (土) 22時14分

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