存在のやどる瞬間…高岡早紀からのアプローチ
マドンナ・えっせい14
存在のやどる瞬間
高岡早紀からのアプローチ
1994年の冬、日本映画ファンの話題は、2つの『忠臣蔵』対決に集まった。とは言っても、TVに押され、ビデオに骨抜きにされて青息吐息と言った風情の『日本映画』の事、失望の衝撃がなるべく少なくなるようにと、期待を無理やり理性で押さえ付けて足を運んだ映画館で、2つの『忠臣蔵』は見事に予想を裏切り、心行くまで映画を堪能させてくれた。それら2つの『忠臣蔵』のうちの1つ、「忠臣蔵外伝 四谷怪談」で、印象深い「お岩」を演じたのが高岡早紀だった。
高岡早紀の名前は、一応は知っていた。出演した映画への評価では、「バタアシ金魚」が話題になったし、また最近のものでは映画「橋のない川」などにも出ている。しかし、TV、映画を問わず、彼女の出演作品の中でそれまで見た記憶のあるのは「CFガール」だけであった。
その作品のストリーはほとんど忘れてしまった。ただ、北アメリカのロッキー山脈の風景と、高岡早紀の一瞬のポーズの中にあった、微妙なバランスの上に立つ緊張感は、見ていて非常に心地好かったのを記憶している。
その当時は、一応、高岡早紀はアイドルの1人と見なされていた。けれども個人的には、淡い茶色の瞳が醸し出す印象的な表情と、本格的にバレエをやっていた事による姿勢の美しさ、アイドルにしては豊かな胸の膨らみぐらいの印象しかない。
そんな元「アイドル」・高岡早紀が、この映画ではヌードにもなる湯女・お岩の役に挑むという情報なども事前には流れていた。一応は男である以上、そうした類いの好奇心も少なからず持って見にいったのが、この「忠臣蔵外伝 四谷怪談」であった。
しかし、そんな「期待」は、嬉しい形で裏切られた。湯女すなわち江戸時代の風俗嬢という役柄の関係もあり、彼女の胸も露なシーンが幾つか出て来た。しかし、驚くべき事にそれらのシーンも含めて、高岡早紀の演じるお岩は、少しもいやらしく感じられないばかりでなく、返ってお岩の無邪気さや可愛らしさを印象づけたのである。
ごく普通の雑誌にまで「ヘア・ヌード」が登場する風潮の中、映画にしろ、ドラマにしろ、グラビアや写真集にしろ、元「アイドル」のヌードなど、少しも珍しくない現在。そんな中にあって、ヌードになる事はどんな意味を持つのだろうか。確かに一時は話題になっても、それによって失われる神秘性や崇高性などを考えれば、収支決算は必ずしもプラスになるとは限らない。わいせつと欲望のイメージを煽る事で、自らを1人の女性・掛け替えのない1人の人間……ではなく、「性の商品」に堕してしまう危険と表裏一体の関係にあるからである。
ところが、それを見事な演技によって吹き飛ばしてしまったのが、高岡早紀のお岩であった。結果としてそれは、山路ふみ子女優賞、日刊スポーツ映画大賞、横浜映画祭等の主演女優賞…といったいくつかの賞の対象となり、この3月(95年3月18日)にも、第18回日本アカデミー賞の主演女優賞を受賞している。
もっとも、この映画で共演した佐藤浩市との間で、「愛人」云々のスキャンダルも聞こえているらしい。だが、実生活との関わりで軽薄な発言をして男の値打ちを下げたように見える佐藤がどうであろうと、また高岡早紀自体が実生活の面でどうであろうと、作品としての映画の素晴らしさと、その映画の中での彼女の演技の素晴らしさは、特筆するに値する価値のあるものだと言える。
人間である以上、誰しも欲望もあれば、多くの欠点も持っている。生きていれば、当然、数多くの失敗や挫折も経験する。その意味で、世間に名を売っている人や、歴史に名を残した人であっても、人生の中には様々な暗部を持っている。けれども、その人にどのような失敗や挫折や欠点があっても、素晴らしい「作品」は、それ自体作者を離れて1人歩きを始め、多くの人を照らす光を放ち続ける。
確かに、そうした作品を生み出すに至る才能と努力は必要だろう。というよりも、才能と努力なくして創造はありえないと思っている。けれども、それだけで「作品」は生まれて来るのだろうか。私自身は、才能や努力の土台の上に、人智を越えた巡り合わせがあるのではないかと、最近、考えるようになった。
ドキュメンタリー映画「地球交響曲」の龍村仁監督が、野澤重雄さんのトマト(たった1粒の普通の種から栽培された、13,000個も実のなるトマトの巨木)の撮影の際のエピソードを語った時に、こんな話を聞いた。
撮影のスケジュールの都合でヨーロッパに行かなければならなかったのだが、トマトの成長の状態から、実が落ちてしまいそうなくらいにまで育ち、そのような連絡が野澤さんから来たらしい。しかし、龍村監督は動くことが出来ず、落ちない事を祈りながら撮影を続けた。そして、帰国し、奇跡的に落ちずに残っていたトマトの実を撮影したその夜、トマトの実は全て落ちてしまったのだと言う。
努力とそれを支える熱い思い、それは「作品」を作り出すのに最も大切な条件の1つだろう。けれども、素晴らしい「作品」の成立の過程には、それに加えて、多くの人々との関係や、機が熟する時といった条件も必要ではないだろうか。もちろん、それらは個人の力の及ばない部分ではある。けれども、思いを持ち続け、心に温め続ける事によって、その瞬間が、私たちに訪れるように思えるのである。
〔完〕
95年3月
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コメント
[TAC]様
良い作品もそうであるように「才能や土台の上に人智を超えた巡り合わせがある」はエンジニアが良い仕事を成し遂げる場合も同じでした。
「良い作品を作り出すのは努力とそれを支える熱い思いと、それに加えて多くの人々との関係や機が熟する時が必要、、、さらに思いを持ち続け、心に温め続けることによって、その瞬間は訪れる」はエンジニアが良い仕事を成し遂げる場合も共通であったと思います。本人の努力と熱い思いを抱き続けることに加えて人々の良い関係が不可欠でした。
トマトの撮影の話は興味深かったです。拝読させて頂き感謝を致します。
投稿: 宮崎 寛 | 2008年7月 2日 (水) 23時19分
1つの「出会い」が、それからの人生を変えていくきっかけになることってあるのではないかと思っています。ただ、そんな「出会い」を、努力もせずに待っていても仕方がありません。「出会い直し」も含め、「出会い」を生かせるように自分のちからをつける努力は必要でしょうね。
投稿: TAC | 2008年7月 3日 (木) 19時47分