「青い鳥」交流誌を読みながら 28 「葦」 31

「葦」31    (097)

《最果ての一点》  藤田亮

仰ぐ空の上/渦巻いている絶望に/飛びこんだ光さえ/飲みこんでしまう、なんて/信じることも/おぼつかず/意識さえ

 

空白の彼方

 

産声の溢れる/その白い渦の中/私はひとつすくい上げる/それがかつて/私の仰いだ光だった、なんて/信じることにも/疲れ果て

 

かさかさに渇ききった唇で/「アリエナイ」とこぼす/なのに/瞳に満ちる泪ですら/そのひとしずく が/最後まで/私で在り続けようとしている、/

 

なんて。

 

*若いからこそ、希望が見えない時があり、身体の細胞に生命力が溢れているからこそ、死を身近なものと夢想することがある。それは、光を見出そうとあがきながらも、現実の中で実存を実感できない苦しみゆえかも知れない。すべてをありのままに、穏やかに受け入れられるまでには、まだまだ苦しみ、のた打ち回らなければならないだろうが、その一瞬一瞬が実は輝きに満ちていたことに気付くとき、人は成熟へと至るのかもしれない。ただ、道は遠く、戻ることも出来ない途上に今はあるようだ。

・辻田武美、岡田千香代、武藤ゆかり、篠田みゆき、池田みち、松沢桃、村井一朗……他

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「青い鳥」交流誌を読みながら 27 「柵」271

「柵」271    (096)

《窓の外に出て》  米元久美子

窓にまぶしい光がさしこんでいる

ガラスに顔を押しつけて見る

青空がひろがっている

遠くに雨雲が見える

風で樹が揺れはじめる

私は心が虚ろでここから出られない

やがて嵐が来て季節がかわる

何度この風景を見てきただろう

同じ人間なのに

私だけこの場所に取り残される

生まれた町が懐かしい

月に一度 会いに来る母

一緒に連れて帰って欲しいと思うが言えず

叶わないことと諦める

 

暖かい日差しを浴びて

この風の中を歩き出したい

金木犀の香り探して

そして生まれかわり

普通の女(ひと)になり人生を送りたい

 

*何気なく通り過ぎる当たり前の風景が輝きを増すのはどんな時だろうか。それは「当たり前」だと思い込み気にも留めなかった一瞬一瞬の生が愛おしくなる時、例えば、死を意識し、真摯に見つめ直した時かも知れない。さだまさしの「療養所(サナトリウム)」という歌を思い出した。

・肌勢とみ子、中原道夫、松田悦子、小野肇、北村愛子、小城江壮智、黒田えみ、山崎森…… 他

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「青い鳥」交流誌を読みながら 26 「秋楡」 45

「秋楡」45    (096)

《ひとり言》  大橋静江

萌えいずる若葉が好きと答えれば春は微かに我に手を振る

満開の桜は重し曇り空脇にあなたの居ないドライブ

ことし又若葉の季の巡り来ぬ耐えていこうよその優しさへ

小葉揺れていのち継ぎゆく新緑の色ずく風の影重なりぬ

咲きそびれし山あじさいの季過ぎて新に季の巡るを待ちぬ

春は風夏は雨かとひとり言今日も光は吾を包みぬ

春休み心待ちする孫便り温きスープを夕餉に添える

*花と緑の風景の中に春が匂う。繰り返し訪れる華やかな季節の中で年を重ねていくうちに失われていった人の面影が心をよぎる。大切な人を失っても、人は時間を重ねて生きていく。日常のささやかな喜びを心の支えにしながら。見慣れたはずの穏やかな風景の奥にさりげなく【時】を感じる作品である。

・三宅千代、白川あや、高木啓子、春日井英子、西尾清子、木村郁子、三原香代…… 他

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『めーてるの気持ち』1~3 を読む

ラックからのミニ評論22

 『めーてるの気持ち』1~3  《奥 浩哉》を読む

『めーてるの気持ち』は、マンガ家・奥浩哉が二〇〇六~〇七年にヤング・ジャンプに連載したものをコミック化したもので、全三巻が発売されている。メーテル……といえば『銀河鉄道999』のヒロインだが、当然、直接これに関係ある訳ではない。主な登場人物は、三〇歳でひきこもりを続ける慎太郎と、その父親と結婚し、すぐに未亡人になったはるか。他にも慎太郎の父やはるかの母など数人の登場人物場が出てくるが、「めーてる」という名前は出てこない。はるかは、二〇代前半で慎太郎よりは年下である。このようなマンガに、なぜ「めーてる」が出てくるのか。999のメーテルは、星野鉄郎の母代わりであると同時に恋人でもあった。だが、鉄郎の未来のために、すべてが終わるとひっそりと鉄郎の下を去っていく。そうした点ははるかの立ち位置と重なる。その辺りに、「めーてる」が出てくる意味があるのだろう。

作品そのものは、一応、ラブ・コメである。そして最後に慎太郎はひきこもりを脱して家族を持ち、ラーメン屋を経営するまでになる。けれども、そこに至るまでのはるかの努力や迷い、そして慎太郎の、家の外や他者に対する恐怖感などは恐ろしくリアルである。

例えば、はるかが風邪で寝込んだとき、慎太郎ははるかのために薬を買いに行き、買い物をして、おかゆを作る。けれども、一歩外に出るだけでも強いプレッシャーがかかり、気分が悪くなる。薬局で薬を買い、レジでお金を払う時も、心理的にはかなりシンドイ思いをしてやっとのことで買ってくる。しかし、はるかが回復するとまた外には出られなくなる。

実際のひきこもりに関わる相談の際に「イベントではなく、アクシデントがきっかけになる」という話をすることがある。周囲が意図的に何かをさせようとしてもうまくいかない場合は少なくないが、周りが意図していない出来事や事件がきっかけになって本人が動くことは意外にある。その点を考えれば、この風邪のエピソードは、けっこうリアルである。

他にも、慎太郎の三〇歳という年齢設定は、現在、ひきこもりの平均年齢は三〇歳を超えていると推測されていることから、それほど違和感はない。従って、「時間がない」という周囲の理解は重要だし、自立と関わって異性とのコミュニケーションの問題や性の問題、就労の問題などは大きな課題となる。そして、「母親」が「子どもがすべて」の人生ではなく、母親自身の人生を生きることも、「自立」のための「環境」として大切なポイントである。

はるかは、慎太郎の想いを受け入れることを決断し、「母親」ではなく、「恋人」として慎太郎を外に連れ出し、キスをする。そして、セックスも……。けれども、次の日、はるかは慎太郎が寝ている間に家を出て行く。一つは、慎太郎がズルズルとはるかに依存して自立できなくなってしまうことを避けるため、そしてもう一つは多分、自分の人生を生きるために……。

はるかが去ったことに気づいた慎太郎は、最初は怒り、悲しみ、自暴自棄になってはるかの残してくれたお金を無思慮に使ってしまう。けれども、はるかがどこかで見守っていることを信じて、アルバイトを始めようとする。仕事が出来なくて罵倒され、何度もクビになり、それでも仕事を続けた結果、慎太郎はラーメン屋の主人となり、家族を持つまでになる。実際は、就労から自立までの過程が大変で困難も多いのだが、この作品は、あくまでもラブ・コメなので一応はハッピー・エンドとなっている。が、実際のひきこもりの本人や家族の状況は、もっとしんどい。その辺りも含めて、気になる部分もあるが、上手に読めば、いろいろなことを考えさせてくれるマンガである。

          〔完〕

  

 【TEXT】

 

  『めーてるの気持ち』1~3    奥 浩哉

   2007年 集英社   ヤングジャンプコミックス

      ISBN978-4-08-877196-0

 ISBN978-4-08-877250-9

   ISBN978-4-08-877291-2

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『排除の空気に唾を吐け』を読む

ラックからのミニ評論21

 『排除の空気に唾を吐け』  《雨宮処凛》を読む

この本の帯に「悩める人よ孤立するな」という言葉が大きな活字で印刷されていた。不登校・ひきこもりや在日外国人などマイノリティーの問題と関わっていると、このことがいかに大切であるか、とても切実に感じることが少なくない。相談の場において、話を聞いていく中で「自分は、一人ではないのだ」と実感できると、表情が変化してくるのである。けれども、コミュニケーションに自信が持てず、積極的に対人関係をうまく築いていきにくい人々にとって、一歩踏み出す勇気を持つのは難しい。それでも、周囲の理解と協力が得られれば、少しずつでも先へ進むことは可能である。

 

だが、その「周囲の理解と協力」が、今の日本の社会では、なかなか得られない現実が横たわっている。それこそ、この本の題名にある【排除の空気】なのだ。

 

例えば、秋葉原の無差別殺人事件の背景を探っていくと、派遣労働の問題に突き当たる。著者のもとに「彼の気持ちがこわいくらいわかる」というメールが何通も届き、絶望するしかないような派遣労働の現場にあっては、絶望によって自分を殺す自殺を選択するか、無差別殺人の結果としての死刑によって「世の中」に復讐すると同時に間接的な自殺を遂げることとの間にある心の距離はほとんどないのである。

 

彼女は、自分自身の周りの自殺者が「五重の排除」を受けていたと述べる。「五重の排除」とは湯浅誠が『貧困襲来』の中で述べている概念で、「教育課程から排除」されて不安定・低賃金の職業にしか就けなくなると「企業福祉から排除」され、さらに様々な状況の変化によって親からのサポートが受けられなくなると「家庭福祉から排除」され、さらに生活保護に頼ろうとしても福祉予算の削減による「水際対策」によって「努力が足りない」として追い返されるような形で排除され、絶望して「自分自身からも排除」…自殺となる。だが、排除する側は、それを言う資格があるのか、という問題もある。実はきちんと現実を見ずに「正義」「正論」を振りかざしているだけの場合が少なくない。それは、母子家庭で、母親がまじめに一生懸命働いても貧困レベルから脱出できない(かえって働かずに生活保護等を受けていた方が収入が多かったりする)ような本末転倒の不完全なセーフティーネットを運用しているのは先進国においては日本だけである、という事実が隠蔽されている中での話だからである。

 

けれども、この本に書かれているのは、絶望的な現実ばかりではない。なぜか、マスコミの扱いは小さかったり、ほとんど報道されなかったりしているような現実はあるが、立ち上がり、行動し始めている人達もいるのだ。例えば東京や福岡、京都などで、フリーターでも入れるインディーズ系(独立系)労働組合がフリーター当事者たちの手で始められ、労働相談や団体交渉、集団訴訟などの活動を行っている。そして、それらの組合はメンヘラー(メンタルヘルスに問題を抱えた人々)も、この労働/生存運動に参加している。ひきこもりやリストカットの経験者もメーデーを主催する立場で参加しているのだ。それらの活動の中で《KY(くまもと・よわいもの)宣言》も出されている。《KY宣言》では、貧乏人が低賃金でこき使われ、使い捨てられる現状や、『空気を読め=周囲に同調し自己主張するな』というふざけた風潮が蔓延する生きづらい社会に抵抗し、一切の企業・経営者・経団連・金持ち・勝ち組など『つよいもの』に都合のよい理屈である『格差社会』を肯定する『自己責任』論や『自己実現』という言い方で強制されている『自己犠牲』を糾弾し、反撃の声を上げている。

 

マスコミが伝える以上の悲惨な現実に驚かされるが、マスコミが敢えて大々的に伝えない新しい動きに希望の光を感じることができる本となっている。

              〔完〕

 

  【TEXT】

 

  『排除の空気に唾を吐け』     雨宮処凛

   2009年 講談社現代新書 ISBN978-4-06-287983-5

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「青い鳥」交流誌を読みながら 25 リヴィエール 104

「リヴィエール」104   (095)

《電話》 内藤文雄

電話が つながりませんしん/かけても 出ません/呼び出し音も 聞こえません/通話中でも ありません

 

おかけになった電話は/電波の届かない所か/電源が切られているかも知れません

 

エクアドルの日本向け放送の/リスナーカードがあります/聞きましたよ と送れば/珍しい図柄のカードが送られてくるのです/遠いアンテナの向こうは外国なのです

 

そちらは/外国よりも遠い所なのですか/マイクロウェーブも/届かない程の

 

それとも何本かのアンテナがずれて/行き違いになっているのですか/ずれてしまった電波は/迷子になって/あつい壁の奥へもぐりこんで/出口を探しているのですか

 

*携帯電話の時代になってから、当時の妻の実家の海外にまで仕事の電話に追いかけられたことがあった。その意味ではとても便利になったが、逆に、雲隠れをし難くなった。ただ、それによって人と人との心の距離が縮まったかというと、そうでもない。形式的な関係はたくさん出来ても、深い関係は逆に結び難くなったように感じることがある。そして、孤独を楽しむことも難しくなったように思われる。不便な時代である。

・横田英子、蘆野つづみ、戸田和樹、山下俊子、泉本真里、釣部与志、ますおかやよい、……他

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「青い鳥」交流誌を読みながら 24 リヴィエール 103

「リヴィエール」103   (093)

 

《ゆき》 正岡洋夫

 

ゆきが/しんしん/ふるよふけ/どこかで/かねが/なっている

 

ゆきが/こずえに/つもるころ/そらから/てんしが/おりてきて

 

しんだ/だれかの/おもいでに/みんなで/そっと/ならしてる

 

ゆきが/しんしん/ふるよふけ/とおくで/だれかが/ないている

 

そらには/みえない/てんしたち/しずかに/はれるや/うたってる

 

ふゆが/いっても/しんしんと/どこかで/ゆきが/ふっいている

 

*暖かく雪の少ない地域で暮らす者には、「ゆき」という言葉を見たり聞いたりするだけでファンタジー的なイメージを持ってしまう。まして、すべてが柔らかな平仮名で書かれているといっそうそう思う。鋭く感性に訴えるところはないが、読んでいてゆったりとくつろげる作品である。

・河井洋、正岡洋夫、横田英子、泉本真里、藤本肇、清水一郎、山下俊子……他

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「青い鳥」交流誌を読みながら 23 リヴィエール 102

「リヴィエール」102   (081)

 

《秋》 小野田潮

 

五歳の女の子が/自転車の補助輪を外してくれという

 

失敗をくりかえしながら/バランスのコツをつかんだのか/数メートル走れるようになった

 

傍らで三歳の弟が/わたしの蹴ったボールを/追っかけていく

 

孫らの無心のしぐさに/幼い日のわたしの後姿を見る

 

わたしにしか感じとれない/微細な類似に気づいた/うろこ雲のひろがる/秋の日の午後

 

わたしはすでに/生のバトンを手渡していたことに/気づいたのだった

 

*子どもを見守る穏やかで優しい視線と、自分自身の老いを見つめる冷静な視線が交差する。過ぎ去っていく時間を止めたり戻したりすることは出来ないが、命のつながりを大切にしていくことは出来る。後に続く命のために、自分自身の時間を大切にしたいものである。

 

・釣部与志、石村勇二、後恵子、山下俊子、平野裕子、泉本真里、横田秀子……他

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「青い鳥」交流誌を読みながら 22 四人 83

「四人」83   (093)

《九十七歳の父》 木下径子

*一世紀近くの生涯を娘として振り返る時、見えてくるもの……。それは、ある程度年を重ねることで見えるようになったのかも知れない。妻に先立たれた男は、割と早めに後を追う傾向があるが、成熟して角が取れ、他者を受け入れる容量が増えれば、ストレスも少なくなって悠々自適の心境になれるのかも知れない。淡々と書かれているようだが、「娘」としての視線からは離れ切れていないような印象である。それは微笑ましくもあるが、きちんと成熟した人生を全うできたような方なら、「文学者」の視線にも耐えられる人生であるかもしれないと思った。

・山本悦夫、高杉勲、敷田透、山本孝夫、伊藤文隆、森山晴美、成清良孝、松岡みどり……他

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「青い鳥」交流誌を読みながら 21 ドン 62

「ドン」62   (093)

《ふきのとう》  表 孝子

ことの始めの/春二月/駿河の原野に ひっそり 石に隠れて/ふきのとう みいつけた/愛しくめでて摘み/清しく茹でて/味噌で和え練りあげ こってりと/おちよぼ口ひとくち 口にすると/目もさめる苦味 渋味 みどり香

 

温もって/春の眞清水弾け/いちばん香り/ふきのとう 初子

 

*暦の上では春とはいえ、まだ寒さの身に染みる野にふきのとうを狩る。その姿にも味にも、春を感じる。命の息吹。今年も自然は健在で、私も生きている。そんな生命力溢れる気持ちが伝わってくる。気負いがないゆえに飾り気もない、けれども心が温かくなる作品である。

・宮本貴文、安部清重、石山森、辻村薫

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