『ぼちぼちいこか』を読む
ラックからのミニ評論7
『ぼちぼちいこか』〈マイク=セイラー/ロバート=グロスマン〉 を読む
大学時代の友人の1人から紹介され、今も手元にある1冊の絵本がある。マイク=セイラー作/ロバート=グロスマン絵の『ぼちぼちいこか』というわずか32ページの本である。
物語はいたって簡単で、主人公のカバくんが消防士や船乗り、パイロットやピアニストなど様々な職業にチャレンジするのだが、身体の大きさや重さ、微妙な力のコントロールが出来ない事などが原因ですべてに失敗し、一休みをしよう…という流れになっている。今江祥智の関西弁の訳とやわらかな色彩で描かれたカバくんの何ともいえないユーモラスな表情が絶妙で、何度読んでも楽しいし、また、読み終わった後、ほのぼのとした気分になれる本である。
その名訳の一部を紹介してみよう。原作本では、「NO」がだんだん大きくなっていくという話だが、「…なれるやろか」―「なれへんかったわ」・「…どうやろか」―「どうもこうもあらへん」・「…になるちからは」―「ありすぎやったな」・「…てをだしてみたら」―「てがでえへんやんか」といった具合に変化していく。それが、グロスマンの絵と訳とは思えないほどマッチして、何度読んでも、ページをめくる度に笑みが零れてしまう。
それでも、失敗を繰り返しながらも次々と新しい事にチャレンジするカバくんの姿は微笑ましいし、失敗続きでも落ち込まず、「ま、ぼちぼちいこか」とハンモックで一休みを決め込むカバくんにほんのりと温かいものを感じてしまうのはどうやら私1人ではないらしい。
大人が手にすれば「癒し系」という事になるだろうが、もちろんこの本を手にした子どもにも人気があるようで、甥や姪が小さい頃に買い与えたら、プレゼントした事を後悔する程、何度も何度も「読んで」と言って近寄って来たし、自分で字が読めるようになっても、時々、思い出したように手にしていたのを記憶している。
いずれにしろ、大人にとっても子どもにとっても「良い本」には違いないのだが、最近の日本の世相を見ていると、心のために「必要な本」となりつつあるのではないか……という思いにとらわれる事がある。不況が長引く中、多くの人が職を探し、特に若い世代は10人に1人くらいは失業している……というような話も耳にする。就職ばかりでなく学校や年金など未来を悲観しかねない情報が巷に溢れている。
学校や職場でも心のゆとりは失われ、時間や日々の仕事・勉強に追われて心は疲れ、荒れすさみ、穏やかな心でゆとりと優しさを持って周囲の人々に接する事の出来るような人は私の周囲でも少なくなっているように思われる。
そうした中で夢や希望を持つ事は難しいかも知れない。しかし、心にゆとりを持って自らを取り巻く現実を見つめ、その上で自分の能力で出来る事を地道に積み重ねていけば、少なくとも絶望せずに生きていく事は可能になる。
ある意味では、絶望する事は易しい。しかし、それでは前には進めない。遠過ぎる目標だけを意識せずに、自分や周囲の「現実」をきちんと受け入れながら、それでも今出来る事を積み重ねていくと、少しずつ前に進んでいくことが出来るのではないかと思われる。
苦しいのは自分だけではない。あるいは、状況も悪いかもしれないが、長期戦の覚悟を決めて、ゆっくりと進んでいけば、少しずつ道は開けてくる。「ぼちぼちいこか」という言葉を、苦しんでいる多くの人々に伝えたい。
〔完〕
【TEXT】
『ぼちぼちいこか』 マイク=セイラー 作
ロバート=グロスマン 絵 今江祥智 訳
偕成社 1980年
(2003年4月)
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